そもそも「忠臣蔵」は「赤穂事件」にヒントを得て書かれたフィクションである。実際の事件関係者をうまく組み入れてそれらしくは作ってあるが、もちろん史実ではない。そこを踏まえて、いろいろな資料にあたると実際の事件が垣間見えてくる。ただ「忠臣蔵」をエンタテイメントとして楽しむということなら、そんなことは考える必要はない。でも、三河人の端くれとしては、一方的な勧善懲悪ドラマには疑問を抱く。吉良上野介だって、地元ではいい殿様って言われていたんですよ。そのあたりを踏まえて「忠臣蔵」を観ていきたい。
御存知「忠臣蔵」にはいろいろな人物が出てくる。その中でも、高師直(吉良上野介)が筆頭の悪役だ。その他にもぞろぞろと悪役連が揃っている。格好いい悪役の定九郎、道化の悪役の鷺坂伴内、定九郎の父であり伴内の主人である斧九太夫なる悪役もおもしろい。
なにしろ「忠臣蔵」は討ち入った四十七士は徹底的に正義の人に描かれている。事件の因をつくった浅野長矩は悲劇のヒーローだし、これらに連なる人々もまた善人なのである。
かたや討ち入りに参加しなかった家臣や、吉良上野介派の人物はことごとく悪役に仕立てあげられている。その最たる人物が高師直(吉良上野介)と斧九太夫(大野九郎兵衛)であろう。吉良上野介については言うまでもないけれど、大野九郎兵衛については吉良さんほど有名ではないので、史実を少し説明しますね。
大野九郎兵衛、赤穂五万三千石の末席家老で、大石内蔵助のような地生えの重臣ではない。藩財政の立て直しと塩田開発などに手腕を発揮して家老に取り立てられた財政通の有能な人物だった。そういった意味から言えば、財政立て直しの雇われ家老であり、浅野長矩が切腹して果てれば、契約そのものが白紙になり、またその力量を生かして他の藩に仕官することができる。長矩の死後、赤穂を逐電したと言われているが、なんのことはない、契約が終了したから退出したまでのことで、当時の風潮からしても、不忠臣と後ろ指をさされるのはおかしい。例えば関東のあちこちで藩政建て直しを請け負った二宮金次郎をイメージすれば分りやすい。
残念ながら大石内蔵助に率いられた47人が吉良邸に討ち入ったがために、不忠臣のレッテルを張られて不遇の中に余生を送ったことだろう。
そうそう、47人というけれど、この人数はけっして主流派ではなかった。資料に依れば、浅野長矩の家来は429人である。その中で吉良邸討ち入りに参加した者が35人であるから、参加率は8%でしかない。赤穂藩関係者の少数派、異分子といってもいいだろう。8%の愚挙のために大半の藩士たちは大迷惑を被ったのである。その中の代表格が大野九郎兵衛だった。
おっと、吉良邸討ち入りは47人じゃなかったけ?そうです。実際に討ち入りした人数は47人だった。では35人というのは……これはあくまでも直臣の数で、例えば義士の不破数右衛門は浪人であったし、大石主税など、家来の子供という立場の者も多かった。そういう関係者までかき集めて47人にしていたのが現実である。
さて「忠臣蔵」に話を戻す。四段目の「扇ケ谷塩冶判官切腹の場」である。長い場であるが、後段に斧九郎兵衛が登場する。そこでの九郎兵衛の言動が今の優秀な役人(笑)に通じるところもあっておもしろかった。こんなふうである。
判官は切腹し、城の明け渡しを幕府から求められている。血気にはやる藩士たちは「亡君の無念を晴らすために幕府相手に籠城戦をやって討死をしよう」あるいは「殉死をしよう」と主張する。
これらに対して、深い策謀を秘めた大星由良之助は「軽挙妄動は家の恥、亡君の恥になる。藩の金を藩士全員で頭割りにしてその後の生活の糧にする」と諭す。
そのことを九太夫がなじるのである。
「若い藩士たちが亡君の無念を晴らそうとこれほどまでに覚悟を決めているというのに、筆頭家老のそこもとは情けない。筆頭家老がこの体たらく、亡君の無念を察しない不忠者である。わしは末席の家老ではあるが、若い藩士たちの気持ちはよく解った。わしも一緒に城を枕に討死しよう」とあおる。最初だけは勢いのいい上司っていませんか(苦笑)。
九太夫、そう豪語して退席する途中、藩の金いわゆる御用金を分配するという話が進み始めると、戻ってきて「半金を分配するときは頭割りではなく禄高割にしてくれろ」ときっちり自分の取り分を要求するのである。そもそも優秀な経済官僚である九太夫には、「城を枕に討死」などという思いはない。言ってみただけなのである。
そして由良之助たちが討ち入りに動き始めると、手のひらを返したように妨害を始め、あろうことか(政)敵に内通し敵側で身の安全を図ろうとする。九太夫のような人物を「佞人」(ねいじん)と言う。
もちろんこれは「忠臣蔵」という物語の中の話で、実存した大野九郎兵衛がどんな人物かは史実として残っていない。もっと真面目で清廉な人だったのかもしれないが、それは歴史の池の深くにあって見ることはかなわぬ。
しかし、フィクションの上でのキャラクターとしては充分に出来上がっていて、いかにもあちこちの組織にもいそうな「佞人」に造られていて面白いのである。卑怯な役人の行動を学習するうえでもためになりますぞ。
蛇足になるが、日本学の権威であるドナルド・キーンさんの言を引きたい。
「日本の社会と倫理観の変化にもかかわらず、歌舞伎、浄瑠璃の別なく観客の心を捉えつづけてきた。そして海外でも上演され、日本人以外の人々にさえ同様に興味深いものであることが証明されている」
そんな「忠臣蔵」、まだご覧になられていない方にはぜひお薦めします。