官僚制

 昨日の続きである。官僚制というもの、広義にとらえれば文展の審査員なども入るわけだが、そのあたりを司馬さんが長編小説の『峠』の中で痛烈に批判している。
《官僚制というものは、ひたすらに無事がほしいのである。無事を宝石のように思っている。無事であれば上は総理大臣から下は市町村職員にいたるまで、税金をいただいてひそひそと食っていけるといううまい仕組だし、役割である。息をするのにもしずかに息をし、荒い言葉ははかず、他人に迷惑をかけられまいと始終気をくばり、おのれの行儀をよくし、ひとの不幸は見てみぬふりをしてこっそりと座をはずす。そういう生活技術であり、精神である。》
 越後長岡藩の家老である河井継之助の生涯を描いた長編小説が『峠』である。この作品はずいぶん若い時に読んだけれど、司馬さんが、自分が戦争に駆り出され、軍官僚制のひどさを身をもって体験しているだけに、このシステムに対してはかなり厳しい意見を言われる。
 現在、軍官僚に代わって日本を牛耳っているのが財務省である。日本の現状をしっかりと俯瞰している人の本を読んでも、客観的な判断ができる識者の意見を聴いても、現段階での「消費税増税」はない。
 現在の国際社会は、経済戦争をしていると言ってもいいだろう。そのために国力(財政)は必須であり、国際的な武器となるものである。財務省はその武器を手にしている。そして諸外国とさらなる戦いを進めようとして、増税を声高に叫んでいる。やつらに増税武装)しないという選択はない。
「いついかなるときも国家のためを考え、増税するのが我が省の使命だ」
 国民から乖離するエリート集団はそう思い込んでいる。国のためと言いながら、実は自分たちの小さな省益を守るために奔走しているのである。