先週末、葬儀が続いた。規模の差こそあれどちらも厳かにしめやかに執り行われた。一方は浄土真宗で、もう一つは曹洞宗だった。宗派によってこれほど葬送のかたちが違うものなのかと、あらためて思う。
 浄土真宗の参列者全員での読経は迫力がある。「南無阿弥陀仏」が何度も繰り返されるところなど、信徒の結束を感じた。
 その点、禅宗はあっさりしている。導師と随伴だけで、少し長めの経を唱えて焼香に移る。ワシャも曹洞宗なので、僧侶だけの読経でいいし、できればありがた〜いところを短めにお願いしたいものだ。
 それにしても思った。葬儀というのは生者のためのものなのだなぁ。ご高齢の方がお亡くなりになられると、参列者はやはり喪主や遺族の関係者ばかりになる。おそらく生前には仏様の顔を見たことがないような弔問客が多くなるのはやむをえない。
 ワシャが百歳になって棺に入れば(もちろんそんなに長生きできないが)、家族以外はみんな知らない人ばかりっていうこともありえる。親族だって、いとこの子供たちなんか道ですれ違ってもわからない。そんなもんでしょうね。

 葬式の比較論を書きたかったが、中陰の間は控えることにする。

 それはそれとして、また忙しい一週間が始まる。此岸に残された者は頑張って生きましょう。