気を付けないと、顔というのはその人の性格や来し方がモロに出てしまう。「誰でも顔の中にその人の生涯が顕れて見える」と言ったのは田山花袋だったか。

 2月末から3月にかけて、送別会が多くあった。その度に記念写真を撮る。そんなことを毎年儀礼的に続けているので、それこそ束になるくらいの集合写真が溜まる。年々歳をとっていくのはやむをえない。しかしおもしろいのは、加齢によって仲間たちの顔が変化していくことである。皺がよったりとか白髪が増えたりという物理的なことではなく、にじみ出てくるものとでも言うのだろうか、そんなものが変わっていくのだ。でもね、わりとみんないい感じに移ろっている。

 記念の集合写真の中にどうにも妙な男が混じっている。ワシャ自身である。明らかに他のメンバーと顔つきが違う。なんだか成長していないというか……周囲と同様に老けてはいる。やっぱり仲間も苦労しているのだろう。ワシャを含めて細ってきた奴も多い。そのあたりは差がないのだが、そんなことではないのだ。なんだかワシャの表情には内側からにじんでくるものが顕れていない。なんだか感情そのものを持っていない虫の表情を見ているようだ。そうだ「虫」の顔である。「虫……なんの虫だろう?」そう友だちに相談すると、「虫には見えないけどね」と優しいことを言ってくれる。でもワシャには虫に見える。螻蛄かなぁ?
「そうだ。ワルシャワをやめてケラシャワにしよう」と友だちに言うと、友だちは吹き出した。

 かつて小説家の稲垣足穂がこんなことを言っていた。
「人の目を気にしている人というのはいつになっても虫のような顔をしている」
 記憶が定かではないが、そんなニュアンスのことをどこかに書いていた。時間がないので出典をあたれないが、要するに、人の評価や評判ばかり気にしている連中はしっかりした顔が形成されないということだったと思う。
 強く自戒をしなければならない。