年一読書会

 今日は、東京などから仲間がやってきて年一回の読書会を開催する。課題図書は、宮崎哲弥『仏教教理問答』(サンガ文庫)である。これ自体は300ページばかりの文庫なのだが、いやはやこれが難物だった。参考文献も多岐にわたっているんですよ(泣)。
 問答一(第一章)では、章題が《『太陽を曳く馬』をめぐって》ですから、そもそも高村薫の『太陽を曳く馬』を読んでおかなければならない。ワシャは高村が苦手なところにもってきて、上・下2巻の大部である。その上に、高村の仏教世界三部作の3番目の作品なので、この作品の前作『新リア王』、前前作『晴子情歌』も押さえておかなければならない……なんて無理だった。対論の相手は、天台宗の白川密成氏。
 問答二は《浄土真宗は仏教か、超仏教か?》というテーマで、お相手は浄土真宗釈徹宗氏。この章は、三河が中世以来浄土真宗の一大布教地であることと、仕事の関係で一時、一夜漬けではあったが、浄土真宗の概要を勉強していたことで、少し理解ができた。いやいや、ほんの少しですな。なにせ「還相廻向(げんそうえこう)」だの「煩悩熾盛(ぼんのうしじょう)」だの、難しい言葉がポンポンと飛び交う。これに「アングリマーラ(釈迦の仏弟子)」とか「テーラガーター(仏典)」などのカタカナ文字が散りばめてあるので、いちいち注釈を見ながらでなければ解読不可能だった。結論としては、「仏教の原典をつきつめると、動物より植物のほうが偉いような気がする」とゲストの浄土真宗僧侶の釈さんが言っている。ワシャも禅者ではあるが、そんな気がする。
 問答三は尼僧の勝本華蓮氏と《問いかけの本源へ》というテーマでの対談である。印象だけではあるが、勝本氏はかなりカルト的な要素を包含している気がする。対論の最後で宮崎さんが「何の根拠もない直感だけど、あなたは広島の師と同じ道を、知らず知らずのうちに歩みつつあるような気がする。いつか自分でサンガみたいなものを構築することになるかも……。」と言う。ワシャも同じようなにおいを感じた。宮崎さんの前にしてあまり論理的な話ができない宗教家というのも、なんだかなぁと思った。
 問答四《不死の門をいかに開くか》は曹洞宗の南直哉(じきさい)氏とのやりとりである。曹洞宗はワシャの本貫でもあるので、両所のお話は比較的理解しやすい。
ここで宮崎さんは「ブッダの教えと他の宗教とで、死の捉え方、その乗り越え方がまったく違っている」と前置きをしてこう言っている。
「(キリスト教の「永遠の命」という観念に対し)ブッダの教えは、永遠なる実体はどこにも、いかなる意味においても存在しないことを明示して、死という観念形態を解体、消去してしまう点に眼目がある」
 う〜ん、やっぱり難しい。
 問答五は、浄土宗の林田康順氏である。テーマは《仏教にとって救済とは何か》。副題に《「誰が」「いかに」救われるのか。そして「何が」救うのか。》と付いている。
結論を言えば、「命ある私たちが」「自身の死やかけがえのない大切な人たちの死という根源的な恐怖」から解放してくれるということ。そして何が救うのか、それは「宗教」ということになる。そういうことではないか。

 毎度そうなのだが、課題図書の読み込み方はあまい。でもそれでいいと思っている。読書会の課題にした図書を読むことで、その1冊が呼び水になり、仏教関連の本を読みこんでいくことになるだろう。去年の読書会の「福田恒存」がそうだったように。そういったきっかけづくりが、読書会のあり方だと思っている。