政治の限界か

 もう旧聞も旧聞で恥ずかしい限りだが、いろいろあって(仕事も忙しかったんですが、ミュシャのしおり探しで時間を取られて←アホ)、ようやく書くのだった。
《閣僚がまた失言 山本大臣「がんは学芸員」》
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00355609.html
 このことを中日新聞が4月28日の社説で取り上げた。それが良かった。「学芸員とは」というテーマで、「モノ・語りを紡ぐ人」と見出しをつけている。これは安城市の歴史博物館で開催中の「モノ・語り名品展Ⅳ」から採った。「モノ」は「資料」にかけ、「資料」に「歴史」を語らせる。その「物語」を「モノ・語り」と洒落ている。上手い企画展のネーミングである。
「紡ぐ」というのを論説委員が加えているが、これもこの地域にゆかりのある大切な言葉なのである。それを知ってつけているとすると、この記者のセンスはなかなかのモノと言っていい。おぬし、できるな。
 さて、その内容である。朝日新聞などと違ってきっちりと取材をしている。現役の学芸員に話を聴き「今、生きている人だけでなく、未来の人にも見てもらうのが博物館」という言葉を引き出している。そして日常の学芸員の多忙な業務に触れて、山本大臣の発言、存在すら全く触れずに大臣の無知に鞭を入れている。「たかが政治屋ふぜいが知りもしないことを、受け狙いで発言するんじゃない」とね。そこまでは言っていないか(笑)。それにしても、今回の内閣改造に紛れ込んだ陣笠議員が、もうボロボロですな。
 ボロボロのはずで、元々は「陣笠連」と言い、ただ議席についているのみの能力の低い下廻りの議員のことを言う。能力はないけれど、民主主義なので頭数としてはいる。それをいい東京大学を出て、官僚などの経歴を踏んでしまうと、自分が政治的な能力のない頭数だということを、ついつい忘れてしまうんですな。人は己が愚かだと自覚した時、その人はけして愚かではない。しかし、人が己のことを愚かだと気付かず利口だと確信した時、人は本当の愚か者になりさがる。
 この人はそもそも政治家(屋)であることすら忘れている。
《政界サラブレッドのドロ沼不倫劇。中川俊直議員に不倫報道。父に続いて女性スキャンダル。ストーカー疑惑》
https://matome.naver.jp/odai/2149267855103410001
 愚者を通り越してぐしゃぐしゃだ。中川俊直御年47歳、もうそろそろ落ち着いていい年頃だろう。でも、表情、行動、存在そのものがガキのまんま成長しちゃったんですな。父親の中川秀直氏も、警視庁保安課が内定調査している女を愛人にして、なおかつその捜査情報を当の本人に漏らしてしまった。あっちも漏らしてしまったかは定かではないが(笑)、なにしろ女性関係にだらしない男だった。そのDNAを色濃く受け継いでしまったんでしょうね。しまりのない女好きを絵にかいたようなだらしない顔は父親よりも悪い。下半身のほうはさらに自堕落なのかもしれない。それでも代議士になれてしまう。世襲議員というのは恐ろしい。

 先週末、本を求めて近隣のブックオフを巡った。その時に、豊明市にも回った。その時のことである。町のいたるところに山尾志桜里衆議院議員のポスターがあって、通りかかる人に笑いかけているのだ。あ、そうか。ここはワシャの住む町のほぼ隣なのだが、ガソリーヌ山尾はここの選出議員だったのか……。
 牝鶏鳴いて家亡ぶ。民進党蓮舫、ガソリーヌ、辻元が鳴くことで、本当に危機に立っていると思う。健全な野党が必要だと思うがゆえに、吠える三羽に懸念を抱くものである。