性善説は危険だ

 作家の百田尚樹さんも言っている。
《人類には叡智というものがあります。そこには愛も良識も含まれます。それもまた核の抑止力になります。しかし、それに頼るのは危険です。歴史上、狂気の指導者というのは幾度となく出現しているからです。》
 戦争になるのは嫌だ。核を落とされるのは真っ平だ。だから「話し合いをすればいいのよ」というバカは、性善説の上で昼寝でもしていろ。
狂気の指導者は、地球上にたくさん登場しましたよね。近いところでもスターリンヒットラー毛沢東ポルポト、チャウセスク、金日成、アミン……。歴史を遡れば、山のようにいるし、小さな領主まで含めれば、途切れることなく、いつの時代にも棲息していたのだ。ドラキュラ伯爵のモデルになったヴラッド・ツェペシュ公だって、空こそ飛ばなかっただろうが、トルコ兵を2万人も串刺しにした。こういった現実を前に「話し合いをすればなんでも解決する」などと思っている脳天気な田嶋陽子系の皆さんはどうぞご自由に。
 でもね、最近のテレビでの発言を聞いていると、田嶋陽子ですら現実の状況に気が付き始めたようだ。北東アジアの厳しい現実の前に、さすがのお花畑も色あせてきたに違いない。
そして沖縄で反日活動をしている連中はもっと正直だ。話し合いではなく暴力で防衛施設庁や警察に対抗している。そもそも左翼イデオロギーに凝り固まった連中は暴力革命を前提にしている。端から「話し合い」などする気はない。
 とにかく平和を維持するのに「愛と良識」に頼るのはとても危険だと言いたい。世界は不信と悪意に満ちている。そう思ってつきあったほうが平和だろう。