地域の百年を考えた

 1990年代後半の話である。愛知県の民間や行政の若手の中から「愛知県のこれからの百年の話をしよう」という動きが盛り上がった。「愛知百年会議」という大仰な名前の集団が形成された。今、ネットで検索してもワシャの日記しか出てこないので、そのものは25年の時間の中で消えていったのであろう。
 詳細な記録は残っていないが、1990年代に入って地方分権論議が地方から始まった。おそらくそのあたりに端を発し、民間の草莽が立ち上がった。ワシャに声をかけてくれたのは――もうお亡くなりになられているので言ってもいいだろう――中部電力で、地域との連携を担当する部署の課長クラスの人だった。その人に誘われて、何人かの仲間が名古屋のホールで開催される講演会や勉強会に顔を出した。それがスキーやウインドサーフィンにしか興味のなかった男に妙な方向付けをしてしまったんですね。こんな若手社員、職員が増えていった。まさに燎原の火のごとくにである。
 ネットワークは日に日に拡大していった。民間、行政、大学、まさに産官学の若手がぞろぞろと集まって来た。玉石混交だったが、玉のほうがイニシアティブをとって活動した。それでも玉も石もネットワークを組んだおかげで、組織内で得るよりも、多くの情報が早く正確に届くようになった。ある意味において、地方分権の維新が始まっていたのだ。
 そして25年、維新に燃えた志士たちは年齢を重ね、職を退き、あるいは鬼籍に入り、はたして維新がなったのか、どうなのか。それでもいくつかの市の駅周辺にはビルが立ち並び元気を取り戻し、いくつかの市のまちおこしも順調に軌道に乗っている。あのころの志士たちが要所要所で大切な役割をしていたおかげであろうと思いたい。

 昨日、その残党というか……未だに地域にあって火を吐くような活動を続けている男の自宅で会合があった。久しぶりだったが25人ほどのメンバーが集まった。某大学の先生を招へいし、1時間ほどの講義の後、酒を飲みながらのディスカッションである。有意義な時間だった。情報交換もできた。
 でもね、少しばかり考えることもあった。火を吐くような男と県内を走り回っている創業期には、お互いに肩書はなかったが時間はあった。若者(馬鹿者ともいう)から言えば25年後も100年後も将来という意味においてそれほどの差を感じなかった。しかし馬齢を重ねてここまでくると、25年後ってかなりリアルな年数なんですね。生きているか死んでいるか微妙な年数で、おそらく不摂生なワシャなんかは地獄の釜の中でしょうが(笑えまへん)。
 会合の最後は、火を吐く男の引退宣言だった。今年度に退職をするということで、こういった会合は今年が最後になると告げた。
 ほんの些細なことではあるが、地方のひとつの時代が終わるのだと実感した。