季節には季節のものを

 あまりの愚挙ゆえに3日も書くのを躊躇してしまった。70年前の戦艦大和の沖縄特攻のことである。愚挙というのは、阿呆の軍官僚の立案した作戦のことであり、遂行した将校、士官、兵士たちには最敬礼をするものである。

 昭和20年4月7日、支援機のない大和はアメリカ機動艦隊の飛行機群に徹底的にたたかれ撃沈された。戦死者は3685人。甚大な数の若者が東支那海に消えた。ワシャの年齢に達しない若者ばかりである。乗員たちは、みな目の前に横たわる「死」に対して混乱をした。死に様に対しての口論も始まって、すわ乱闘と言う時にこう諭した男がいた。
「破れて目覚める、それ以外に日本が救われる道はない。今、目覚めずしていつ救われる。俺たちは日本が新しく生まれ変わるためにその先駆けとして散る。まさに本望じゃないか」
 特攻という死に方に疑問をもつ下士官たちを、この一言で納得をさせたのは臼淵磐大尉であった。士官とはいえ大尉は21歳の若者である。あの時代の人々がいかに大人で、覚悟を持っていたかが理解できる言葉ではないか。
 ワシャは馬齢を重ねているが、いまだに臼淵大尉の心境にまで達していない。
 桜の花が満開になると、いつもこのエピソードを思い出す。

 もうひとつ、今月の地元の読書会の課題図書は夏目漱石生誕150年なので『草枕』にした。物語は春も春の小説なのでどんぴしゃりなのであった。めでたし。