愛知百年会議

 四半世紀も前になるのか。かつて「愛知百年会議」と呼ばれた民間主導の会議体があった。二つもね。ひとつはT電力の地域対策の人が主になって講演会活動などに力をいれて実施していた。もう一方は、名古屋の某シンクタンクが主催する勉強会のような集まりだった。
 この二つはもともと一緒だったらしい。だが、どこかの時点でたもとを別ち、それぞれが「愛知百年会議」を名乗って活動を開始する。そこに産官学から多くの若手が集まった。どちらも何度かの講演会、勉強会を重ねてくると、そもそも気概のない人間はポロポロと落ちていく。残った連中の顔ぶれを見れば、面構えのいい奴ばかりが揃っている。ワシャの友人のSさんなんか清原より怖い顔をしている。子供が近くで見たら必ず泣き出すだろう。反対にムーミンパパのようなOさんもいる。体型・表情はムーミンパパなのだけれど、目がチベットスナギツネなのだ。このアンバランスさが怖い。
 顔の話はどうでもいい。会議の話である。何年も活動をしていると、どちらの会合に行っても、似たようなメンバーが中核を形成していた。そして藩同士の中が悪くても、藩士たちはその垣根を超えて交流をする幕末のような雰囲気が出てきた。長州藩士が薩摩藩士を知ってい、会津藩士が土佐藩士と議論をする。そんな感覚も好きだった。
 岡崎にある「R」というフランス料理の店は、そんな人間が定期的に集まる隠れ家だった。また幸田町の駅の近くには個人邸なのだが、秘密の小部屋があってそこに夜な夜な志士が集って、いろいろな勉強会をしている。たまに偉〜い人もたまに顔を出す。佐久間象山とか勝海舟級とかね。
 昨日もその残党のような連中が、安城市の某所に集まった。あんまり言えないけれど「三河中央市構想」とか「三河山手線構想」とかとんでもない話が飛び交った。呑んでいる。話は大きくなる。百年先のことを語ってきた。半ばほら話のようだが、それでいいのだ。
 それでも「愛知百年」とか言ってきて、すでに4分の1は過ぎてしまった。時の過ぎるのは早い。現状維持を是として手をこまねいていると時間はあっというまに過ぎる。歳月は人を待たない。