日本人か外国人か その2

 2015年の白鵬稀勢の里戦が取り直しになったことがあった。きわどい相撲だったと記憶している。そのことに関してジャーナリストの森田浩之氏が白鵬の発言としてこう記している。
「子供が見ても(自分の勝ちだと)わかるような相撲なんでね。なぜ取り直しになったのか……。本当に肌の色は関係ないんだよね。まげを結って土俵に上がれば日本の魂なんですよ。みんな同じ人間です」
 そこが違うのだ。
 大鵬ならその状況に陥っても、一言も文句を言わずに取り直しをする。顔色一つ変えずに!それは北の湖でも千代の富士でも貴乃花でも(日本人だからこそ)間違いなくそうする。日本人横綱であろうと、そんなことを口にした瞬間に白鵬の言う「日本人の魂」を失ってしまう、抜けてしまうのである。白鵬自身がそのことにまったく気づいていない。そのことが理解できないうちは……ということなのである。厳しいことを言うようだが、まげを結って土俵に上がっただけでは日本人の共感は得られない。ましてや魂を体現するなどおこがましい限りである。
 NHK相撲解説者の北の富士さんがこう言われた。
「モンゴル勢横綱の陰に日本人が隠れて、寂しい時代が続きましたけどね。ようやくこうして稀勢の里横綱になり、高安も出てきて、よくなりましたね」
これに対して森田氏は《「寂しい時代」という表現は言いすぎだとしても、「日本の相撲が日本人の手に返ってきた」ことを素直に喜んでいることばだ。今の空気を代弁したものと考えて、あながちまちがいではないだろう。》と肯定はしているがやや批判的だ。「あながち」どころではない。北の富士さんの言うとおり。「絶対に」間違いない。今までどれほど相撲ファンが寂しい思いをしてきたことか。白鵬がダメ押しをせず、猫だましもせず、懸賞金を受け取った後のガッツポーズをせず、帰化して日本国籍を取得すれば、多くの相撲ファン白鵬を歴代の大横綱に並び賞することだろう。

 全く関係ないんだけれど、内田樹氏がこんなことを言っている。
《みなさんも「それが何の役に立つのかわからないけれど、どうしてもやりたい、やっていると楽しい」ことをみつけてください。そうすれば、「努力したけれど報われなかった」という言葉だけは口にしないで済むはずです。》