春来る鬼

 新・旧正月あたりの祭礼に鬼が来る。その年の豊年満作を祈るためにである。時期的には今よりもう少し早いのかもしれない。立春あたりが鬼の繁忙期なのだろうが、やはり鬼には春が萌すころに山から下りてきてもらいたい。今年あたりは雪も多いし、里もまだ寒い日が続く。ちょうど今時分、足の遅い鬼がやってくるような気がしている。
 
 作家の百田尚樹さんのお祖父さんは「ケンカの介」と呼ばれていたそうなのだが、その人が軍隊時代のこと。ご本人は二等兵だったそうな。その時の連隊長が嫌な野郎だったんでしょうね。ある夜、連隊長室に忍び込み、連隊長を半殺しにしたそうだ。もちろん露見すれば、ヒエラルキーの厳格な軍隊において上官を半殺しにするというのは、軍法会議で死刑の可能性もある。そこで「ケンカの介」は連隊長から「帝国軍人として誰にも口外しません」という詫状を書かせたのだそうな。連隊長、ヒーヒー言いながら一筆認めたんでしょうな。悪知恵(リスク管理)も大したものだが、二等兵が大佐をボコボコにする度胸がすごい。階級差で13の違いがある。直接話などできないし、雲の上の人といっていい。連隊長は陸軍の大佐である。軍エリートで3000人の兵のリーダである。己を武士と思ってもいる。それがたとえ暴力をともなっていたとはいえ、二等兵の前に膝を屈し、憐れみを乞い、詫状を差し出す、これは尋常ならざることだと思う。おそらく「ケンカの介」は鬼と化していたのだろう。鬼を前にして人である連隊長は命乞いをしなければならなかった。でも鬼が悪い連隊長をやっつけたことで3000人の仲間は溜飲を下げたんだろうねぇ。

 百田さんの作品にも鬼は多数出てくる。ワシャがもっとも好きな鬼は『永遠の0』のラストに出てくる「殺人者」という名の鬼だ。尊敬する恩人の妻子を救うために、やくざの組長を斬殺し、子分二人に重傷を負わせる。血刀をぶら下げた男は鬼だった。しかしその鬼が来たおかげで妻子は地獄から救われる。今、書いているだけで泣けた。

 先日、愛知県芸術文化センターに行った。その地下にミュージアムショップがある。ワシャは時間があればそこに必ず立ち寄る。おもしろいグッズやピンバッチなんかがあるからね。
 その日は宴席でネタになりそうなものは見つからなかった。「なければ仕方がないわさ」と店を出ようとした時、赤いものが視界の隅に引っ掛かった。気になるのでその赤いものを探したら、ショップの片隅にはからずもピンバッチであった。小物のコーナーとは違うところに小さな箱が置いてあって、その中に10個ほどのプラスチックのピンバッチが無造作に入っていた。たまたま赤いのが上になっていたので、ワシャの目にとまったのだ。見れば拙い絵が小さなプラスチックに描かれてある。小さな紙片に「THANK YOU」と書いてあって、高山市障がい者就労支援事業所で造られたものということも付記してあった。
「ふ〜ん、障害者が造ったのか」
 別段、ワシャにはそのこと自体に引かれるものはない。障害者が造ったからといってそのこと自体に価値を見出さないし、逆に誰が造ろうがいいものはいい。
 そのピンバッチは赤鬼だった。泣いた後なんだろうか。目の周りだけ青い赤鬼。とても悲しそうな赤鬼である。SNSなら写真をアップするところなんだけどね。
 赤鬼は雪深い飛騨から下りてきて、ワシャの家に来た。