しんせかい

 昨日、仕事を終えて職場の通用口から外へ出た。午後6時くらいのことだった。ふと見上げると、東のビルの間に少し欠けている月がのぞいていた。新聞の暦の欄をみると月齢14.1となっている。望月の直前、小望月より少し満に近いくらいの月だった。
 その時に「似たような文章を読んだなぁ」と思った。「あれだ」とすぐに見当がついた。
《ぼくは外へ出た。外へ出て空を見上げると大きな月が確かに出ていた。満月に見える。少し欠けているようにも見えた。月など出ていなかったかもしれない。夜ですらなかったかもしれない。》
 今回の芥川賞受賞作『しんせかい』のラストの描写である。2日前に読んだばかりだから、そりゃ覚えてますわなぁ。
 作者の山下澄夫氏が参加した、脚本家の倉本聰の主催する富良野塾での体験、それが土台となった作品である。山下氏は富良野塾の2期生だ。このころはまだ黎明期で、倉本さんもまだ手探り状態だった。このため塾生たちに課せられた環境は言語を絶するものだった。地獄、あるいは収容所とも呼ばれていた。塾生たちは自らが放り込まれたこの環境を「戦争」と呼ぶ。
 ワシャは倉本聰さんのファンである。以前に倉本さんの戯曲『屋根』の公演の際に、握手をしてもらって泣いてしまったくらいだ。名著『富良野塾の記録 谷は眠っていた』(理論社)は何冊も持っている(なんのこっちゃ)。『北の国から』シリーズは全巻そろっているし、『倉本聰コレクション』も棚にずらっと並んでいる。そんなことから『しんせかい』にはシンパシーを感じたせいか、『火花』、『コンビニ人間』よりもおもしろかった。倉本作品と重なる部分も多いのでそういうことなのだろう。
 日記を書くのに、『富良野塾の記録 谷は眠っていた』をパラパラと再読した。う〜ん、卒業のところではやっぱり泣けちゃうな〜。
《翌春彼らは谷を卒業した。卒業するまでの二年の間、彼らは恐らく都会の青年の一生味わえない試練の中にいた。そして夫々(それぞれ)がそれらの苦しみを、ある充足として確保し、去った。》
 倉本さんは富良野塾を「舟」だと言った。山下氏は19歳でその舟に乗った。その記録である。