一時の懈怠

 京に住む人、急ぎて東山に用ありて、既に行き着きたるとも、西山に行きてその益まさるべき事を思ひ得たらば、門より帰りて西山に行くべきなり

徒然草』(百八十八段)。京(中心部)に住む人が東山に用足しに行ったけれども、相手の玄関先まで行った時に、西山にもっと重要な用事があることに気がついた。せっかく東山まで来たので、ついでだからと用を済ませて……ということではなく、東山の相手の門前からでも、すぐに引っ返して西山に直行するべきだ、重要なことを最優先すべきだと言っている。つまり「よいと思ったことは今から今日から速攻で始めるべし」、「明日から……」とか「来月から……」とかはないのである。
 その点、ワシャはセッカチなので何事も思い立ったら始めないと気がすまない。煙草をやめる時がそうだった。トドに胸を押さえつけられる夢を見て目が覚めた。これがめちゃめちゃ怖かったんですぞ。その前日まで1日80本のヘビースモーカーだったのだが、その朝からピタリと止めた。以降、1本も吸っていない。
 なにかを始める時も同様である。陶芸をやろうと思ったら、その日の内に陶芸をやっている社員に声をかけて、その人が参加している陶芸サークルに入れてもらったものだ。
 しかし、最近はどうも決断力が低下してきたのかなぁ〜。風呂に持ち込む本を選ぶのに、これにしようか、あれにしようかと、迷ってしまって、ほとんど風呂に入る状態で迷っているのもだから「ヒックショーイ!」となってしまう。
 また本を取りに行った途中で「下着を持っていかなくちゃ」と思いつくと、足が書庫に行くのか、クローゼットに行くのか、右往左往してしまう。
 始めるのには躊躇をしないけれど、始めてから、あちこちと脇道に逸れていってしまうところが問題か。でも、それも楽しいのだが。