学者バカが面倒くさい

 憲法学者東京大学石川健治教授がプライムニュースに出ていた。この人は言う。「立憲主義は国民の自由に優先する」
 どっひゃー!
 この人、なにしろ言うことが難しい。簡単に言えることを専門用語で捏ね回し、ワシャのような庶民には理解できない言葉でごまかそうとする。
 対する外交評論家の岡本行夫氏が具体的な事例を示して解りやすく話してくれる。司会の反町さんも視聴者に伝わるように噛み砕こうとするが、まとまりつつある話を、学者バカが「それについては二つの見解がある」とか言い出して、議論を複雑にして論点をはぐらかそうとする。
立憲主義さえ守れば国民は奴隷でいいのか」
 と、岡本氏は問いかけるが、話を逸らして直接にはなにも答えない。要するにこの学者バカは「憲法さえ守れば日本人は奴隷になってもかまわない」と言っている。それが「9条教」である。石川氏は「現代憲法学の鬼才」と言われているらしいが、教義に染まった人間は「現代憲法学の奇怪」でしかない。
 岡本氏が、アメリカの弁護士のパトリック・ヘンリーの言葉を紹介した。
「鎖と隷属の対価で購われるほど、命は尊く、平和は甘美なものだろうか。全能の神にかけて、断じてそうではない。他の人々がどの道を選ぶのかは知らぬが、私について言えば、私に自由を与えよ。然らずんば死を与えよ」
 至言である。
 この言葉に対し、石川教授は一言も返せなかった。そもそも自由に優先する価値観などないいのだから。しかし平和原理主義学者は、「憲法が自由に優先する」と言ってはばからない。
東京大学憲法学の泰斗がこのトホホの有様ではねぇ。もうちょっと護憲派は頑張れよ〜。そう思わせる議論だった。
 石川教授、頭がいいに決まっている。しかし、残念ながら難しいことを要約して解りやすく話をすることはお得意ではない。
司馬遼太郎が『竜馬がゆく』の中にこんな言葉を残している。
「いかに一世をおおうほどの才智があろうとも、(固定観念に)とらわれた人間は愚物でしかない」
 別の文章ではこう言う。
イデオロギーという色眼鏡で物を見てはいけない。イデオロギーでは人類を救えない」
固定観念イデオロギーというものは人の頭を腐らせる。その実例をまざまざと見せられた思いがした。