あっちもこっちも

 朴大統領が大変なことになっている。ニュースの冒頭はこればっかりですよね。でも、日本のメディアが大騒ぎをして報道するほどのことなのだろうか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161103-00000026-yonh-kr
 彼の国は、大統領任期の終盤になったり、代が変わる度に、いつもこんなことを繰り返す。死刑宣告もあったし、自殺した人もいる。射殺されたのは朴大統領の父親であった。「相変わらずだな」と、冷めた視線を送るのはワシャばかりではあるまい。
 韓国は、俗に「三代続く店はない」と言われる。そりゃぁこんなことを続けていれば、三代はもたないわさ。元首を引き摺り下ろす、悪いことをやっているのであれば、それは仕方がないことだろう。でもね、この問題の根っこは、もっと深くもっと広い。
 支那大陸にいくつもの帝国が勃興し、そして滅亡していった。随、唐、宋、元、明、清、細かく言えばもっとあるけれど、まぁ代表的なところでこんなところだろう。
 それらに対して半島の小勢力は臣下の礼をとらざるをえなかった。属国などとは言わない。そうしなければ民族として生き延びられない地勢的な要因が強かった。もともと大陸から海で隔てられた日本とは位置も立場も違うのである。
 だから半島の国家は大陸の帝国の制度を取り入れることに積極的になった。これも必然だった。「科挙」という随帝国が導入した官吏任用制度も同様にである。
 朝鮮半島は小中華になった。本家の科挙は、基本的に公平な制度だった。受験しようと思えば誰もが科挙の試験を受けることができる。分家は違った。「両班」(りゃんばん)というソウルの大官に合せて、在郷の「両班」を特権階級として作った。この「両班」でなければ「科挙」は受けられない。まずここからいびつになっていく。
 そして「科挙」試験に受かれば官僚になれる。官僚になれば大中華に留学し、戻ってくれば半島国家のエリートとして君臨が出来たのである。郷村から一人科挙試験に合格すれば、一村がまるごと連なった。貧しい村が一人のエリートによって救われるのである。儒教国家である。家族、親族、一族、一党は救わねばならない。
 そう考えれば、儒教で飼いならされてきた彼の国では、歴代大統領もその伝統の頸木から逃れることはかなわなかったのだろう。
 日本はその点で、儒教を学んだ国家の中では落第生だった。そのことがどれほどこの国をいい国にしてきたことか。その話をし始めると仕事に行けなくなってしまうので、そんなところで。

 そうそう名古屋グランパスがJ2降格になった。これまで河村名古屋市長のせいにしてはかわいそうだが、都市の勢いというものはトップの魅力に左右されることは間違いない。「名古屋城だぎゃー」と言いすぎた。首長がまともで、もう少し応援していれば16位が15位になることは簡単だった。
 名古屋の百貨店も松坂屋を除いて軒並み営業利益を減らしている。「ギャーギャーミャーミャー」喚くばかりでは都市間競争には勝てない。おそらく、ではなく確かな情報として(笑)、名古屋市職員の中に厭戦気分が蔓延している。