三陸の不思議

 子供の頃は不思議なことがあった。市内で一番古かった小学校の校舎には、あちこちに怪しい言い伝えがあって、雨の夜に音楽室でピアノが鳴ったり、月のない夜に講堂の屋根の上に怪人が現われたり、講堂裏の古いトイレの三番目に花子さんがいたりとか、よくある怪談ではあるが、実際に、小学生のワシャも二度ほど不思議な体験している。
 でも、年齢を重ねるうちに、そういったものが遠ざかっていく。目の前で現実に起きている事柄に忙殺されてしまうようになるのである。ジジイになると、怪しの事象より、自分の体調不良のほうが重大事になってくる。ジジイが恐れる暗がりは、そこに「何かが潜んでいる」からではなくて、眠れぬ夜の「闇の長さ」に恐れおののく。
 そんな夜長に宇田川敬介『震災後の不思議な話』(飛鳥新社)を読んだ。別名「三陸の怪談」である。「3.11」で突然命を奪われた人たち。彼らの無念が被災地のあちこちに残り香のように立ち込めている。それをジャーナリストの宇田川さんが丹念に拾い集めた。悲しい物語なのだが、少し怖い。怖いけれど悲しい話がいくつも編み込まれている。
 物語の場面となった場所にワシャも行ったことがあった。たしかに瓦礫の山が延々と広がる海岸沿いの廃墟の街には、なにかしらの念のようなものを感じたものである。子供の頃に感じた不思議な感覚によく似たものだった。
「21世紀、科学万能の時代になにを言うか」
 そうかもしれないが、この本を読んでから暗がりが怖くなっている。ヒエエエ!