早朝、ケータイが鳴った。かけてきた相手の番号を見ると固定電話からで、登録のされていない市外局番である。気になったのでネットで検索してみると、岐阜県郡上市の局番だった。
「郡上市?」
郡上市というと心当たりは一つしかない。平成の大合併の前に高鷲村と呼ばれた頃に、スキーに足しげく通ったお宅があった。もう四半世紀も前の話である。電話番号のメモすら失っているので確認もできないが、おそらくその番号に違いない。
こんな早朝にそれこそ30年ぶりに電話がかかるとは、あまりいい知らせではないかもしれない。
ちょっと思い出話に浸らせてくだされ。
20代の冬はスキーに明け暮れた。三河からだと深夜に走れば3時間足らずでゲレンデに着く奥美濃のスキー場をよく使った。そこで知り合ったスキースクールの先生(兄弟)の自宅に転がり込んだのは、21か22だった。それからはその家で正月を越すようになり、先生のご両親からも「三河の息子」と言われてかわいがられたものである。
もともと民宿をやっていたお宅なので、部屋は売るほどあった。だから就職してからも職場の仲間を連れて大挙押し寄せたものである。オジサンの酒を飲み、オバサンは食事を無制限に出してくれた。
「食べたいものがあったら冷蔵庫から出して食べんさい」
食欲旺盛な若い者が食べないわけありませんわなぁ。
先生、お二人が結婚し、弟先生の結婚式には出席をした。行くたびに酒を浴びるほど飲ませてくれた(泣)人のいいオジサンはお亡くなりになられ、自分がスキーから離れてしまったので、縁遠くなっていた。どうだろう、20年くらいは音信普通だった。
そこに今朝の電話である。「もしやオバサンになにか……」ケータイで電話を掛けなおした。
3度ほどコールしてお婆さんの声が応じる。
「はいはい」
「あ、おはようございます。愛知県のワルシャワですが」
「はあ?」
「愛知県は三河のワルシャワですが、今さっき、電話をいただいたようなのですが」
「はあ?」
「電話をしませんでしたか」
「しとらんよ」
「あ、そうですか」
「ガチャ」……で切れた。
声は確かにオバサンだったが、ワルシャワではわからなかった。そりゃそうかもね。20年の歳月が過ぎている。オバサンだって90を超えている年齢だし。でも、お元気そうだったのでよかった。
また、飛騨、奥美濃のほうに行ってみるかなぁ。