タゴール

 先週、朝日新聞の「日曜に想う」がインドの文学者タゴールについて触れていた。ワシャはあんまり馴染みがなかったので《インド国歌の作詞者、あるいは岡倉天心と交友があり、日本にも何度か訪問をしていた、くらいしか知らない。》と書いたくらいだ。
 ところがどっこい愛知県刈谷市の広報誌を見ていたら、タゴールが載っているではあ〜りませんか。なんでも10月2日(日)に駅前で「ナマステ・インディア2016」
http://namaste-kariya.com/
というイベントをやるという。その中で「インド舞踊タゴールダンス」を披露するのだそうな。文豪タゴールが自らの詩に古典舞踊の動きを取り入れて振りつけたダンスだんす。タゴールダンスなんて見たことがないので、ぜひ見たいだんす。くどいだんすね。もうやめます。
 タゴールを読んでおこうと思い立ち、一昨日、仕事が終わってから、図書館で本を借りてきた。基本的にワシャは、本は「買う」派である。しかし突然読みたくなったときに図書館は役に立つ。ネットで検索すると、何冊か引っ掛かったので、さっそく借りて読んでいるというわけ。
 タゴールの詩集『ギタンジャリ』から。

 ☆  ☆

 わたしは知っている――いつの日か 地上のものが見えなくなり、生命(いのち)が わたしの目の前に最後の帷(とばり)をおろして、静かに 立ち去る日が来るだろうことを。
 それでも、星々は 夜どおしまたたき、朝は 変わることなく 明けそめるだろう。そして時は 海の波のように高まり、喜びや苦しみを打ち上げるだろう。
 わたしの時間の終焉を思うとき、刻々にきざまれる瞬間の仕切りは破れる、そして死の光にすかして 巧まぬ財宝にみちたおんみの世界を わたしは見る。そこでは どんなに賤しい座も すばらしく、どんな卑しい生命も 尊い
 わたしが求めて得られなかったものも、得たものも――みんな消え去るがいい。ただ、わたしがかつて 退けたもの、見のがしてきたものを まこと この手に持たせてください。

 ☆  ☆

 ちょっと読んだだけだけれど、『ギタンジャリ』が「死生」の指南書であることは間違いない。

 日本人は、近年「死」というものから遠ざかってしまった。いずれ行く道だから、タゴールの「死生観」を勉強してみようっと。