人を理解する

 百田尚樹『鋼のメンタル』(新潮新書)を読んでいて、百田さんの他の文章も読みたくなった。久しぶりに『大放言』(新潮新書)を掘り出してきて読んでいる。その本にも何か所か付箋が打ってあるのだが、昨日、引っ掛かったのは「他人の目は正しい」という項であった。
 要するに、「誰も俺のことをわかってくれない」「みんな、私のことを誤解している」と思っているのは間違いだと、百田さんは言う。
《広い世界で自分のことが一番わかっていないのは、実は自分自身なのだ。「こうありたい」「こうあるべきだ」という気持ちのバイアスが強烈にかかっているから、本当の自分を正しく見ることができない。》
 なるほど。百田さんの仰るとおり。自分の評価が一番甘いのは自分だ。なにしろ、自分の生の顔を見たことすらないのだから評価が出来ない。まったく同じことをワシャが部下や後輩にこう言ってきた。
「あなたの価値はあなたが決めるんじゃない。他者が評価するのである」
 これはそのまま自分にも言い聞かせているんだけど、こう腹をくくるのはなかなか難しい。

 かつてこんなことがあった。関連会社から出向のようなかたちで、凸凹商事に一人の男がやってきた。明るく、さわやかで、調子がいい、どちらかと言えば使いやすい部類にはいる社員だと見えた。
 未知の人物の人となりを知りたいと思ったら、その周囲の人間にその評価を聴いてみればいい。関係会社の知人に聴いて歩いた。知人たちの発言は一貫していた。
「よく知らないんだけど、使える社員じゃないの」
 というものだった。「よく知らない人」が多い男なんだなぁ……というのが第一印象だった。
 その男を送りこんだ社長にも聴いた。
「優秀な男だよ。一番いいのを本社に送った」
 と言っていた。
 しかし、半年もすると優秀なはずの男は馬脚をあらわし、仕事を手当たり次第に散らかしていき、部署の中でも鼻つまみになってしまった。
 そんな状況を踏まえて、関係団体の知人の間をまわってみると、みんなが似たような答えをもじもじと言った。
「実はそうなんだわ。こっちも困っていてね、で、社長が厄介払いとばかりに送ってしまったんだわ」
 おいおい、そういうことは最初に言えよ。
 このことから、再度『大放言』から引く。
《その周囲の人たちにその人物評を聴いて回ればいい。出てきた感想を総合すれば、まずその人物像は狂いがないだろう。》
 ただし、その周囲の人たちが本当のことを言っている場合に限る。往々にして、組織が人を出す場合、体面的なことを糊塗するために、嘘とは言わないけれど、本当のことに触れない場合が多い。

 自分にしても他人にしても、人を評価するのは難しい。よほどこちらが「人間通」にならないとね。