韓国の歴史

 韓国・朝鮮史に関連する本を読みなおしている。それにしても朝鮮半島というところは、北から南から侵略され続けてきたんだなぁ。その総数は千回とも言われている。そういった歴史が今の国柄をつくりあげているのだと思えば妙に納得がいく。
 日本とは違い、朝鮮半島は大陸の一部である。中原に覇をたてる帝国とはじかに付き合っていかなければならない。しょせん朝鮮半島を治めているとはいえ、皇帝ではなく王なのである。唐にも元にも明にも清にも従属しなければ国の存続が危ういし、中原の帝国の制度や文化に影響を受けざるを得ないのも当然だろう。1392年に成立した王朝の名前すら、複数の国号を挙げて明の意向をうかがい「朝鮮」に定めたという経緯がある。こういった状況を見ると、中華帝国と半島の王国との関係は、徳川幕府と諸藩に似たようなものなのかなぁと思う。
 1636年、満洲を基盤とする後金が明を滅ぼし、国号を清と改める。大清帝国の誕生である。かつては後金からの理不尽な要求に対し、明の後ろ盾で退けていた朝鮮も、頼りの明が衰えてしまったことで、直接、後金(清)に対峙をしなければならない。もちろん小国の朝鮮が帝国に抗すべき兵力、財力を持ち合わせてはいない。漢城(ソウル)に押し寄せた20万の清軍の前に、降伏せざるをえなかったのである。
 このあたりのことを金両基『物語 韓国史』(中公新書)はこう書いている。
《朝鮮朝はこのときから清が日清戦争によって日本に敗ける一八九五年までの二五八年間、清に服属することになった。わずかひと月の軍(いくさ)で、かくも過酷で屈辱的な結果を招くとは、だれも予想しなかったであろう。》
 258年間、清の占領を受けていたと言っていい。この長さは、国柄に対して深刻な影響を及ぼすだけの時間であろう。朝鮮朝が清帝国のくびきから解放され、国号を大韓帝国と変えるのは1897年のことである。しかし、その時すでに南の海上大日本帝国が勃興しており、大韓帝国はすでに強い干渉を受けていた。13年後の1910年、朝鮮半島は日本に併合され、大韓帝国はうたかたの夢のように歴史の上から消えてしまう。

 慶長12年の今日、朝鮮使節団が初めて江戸を訪れている。朝鮮国王の国書、贈り物を携えて徳川二代将軍秀忠に謁見した。この朝鮮通信使は、江戸期に12回行われており、後金、清に強い圧力を受けていた朝鮮が、南の海上の武力政権との友好を築こうと努力しているのが理解できる。