『「明治」という国家』。言わずと知れた司馬遼太郎の明治国家論である。平成元年に日本放送出版協会から出版され、その後、ずっと再版が重ねられている。友人の情報ではこの作は電子書籍にもなっているらしい。
この本を来月早々に実施する読書会の課題図書にした。司馬遼太郎没後20年というのが理由の一つである。それに明治維新以降の70年余りの日本をもう一度考えてみたい、そういう思いもあって選択をした。
もちろん『「明治」という国家』は持っているし、何度も読んでいる。最初の出版はハードカバーの重い本だった。ところが今これは出版されていない。古書店にならある。しかし、通常の流通にはのっていない。現在はNHKブックス(選書)で上下2巻になって発刊されている。だから読書会のメンバーには、こちらの方で案内をした。
さて、読書会も近づいてきた。「読み直しておくか」と思い立って司馬遼太郎の棚の前に立った。ハードカバーはすぐに見つかった。選書版の[上]もある。『「昭和」という国家』も単行本、選書ともに並んでいる。
あり?
『「明治」という国家』の[下]が見当たらない。どこに行ったのかにゃ?
まず寝室の書棚を探す。ここには司馬遼太郎の文庫を置いてある(書庫にも同じものがあるので2冊ずつ持っている)。そこにはなかった。息子たちの書棚も確認するが、やっぱりない。息子たちには「ワシャの本棚から本を持っていっていいけれど、ひとこと言って持っていってね」と言ってあるので、無断で持ち出すことはない。
なにを言いたいのかというと、ワシャは「課題図書だよ〜」と言いながら、指定した課題図書がワシャの手元にないことになった。くどいようだがハードカバーはある。だから本はある。参加メンバーが選ぶのは単行本でも選書でも電子書籍でもいいと思う。しかし、幹事のワシャが選書版(それも[下]だけなのだが)を持っていないのは感じが悪い。
別棟の倉庫も探したんですよ。だけどないんですね。このところ不要な本を処分していたので、その中に紛れ込んでしまったのかもしれません(泣)。
昨日の仕事帰りのことである。通勤路にあるブックオフに立ち寄った。このところ谷崎潤一郎のほうに針が向いているから、文庫でいいのがあれば買っていこうと思ったのだ。ざっと棚を見ながら奥へ進んでいく。さしたるものはないなぁ。100〜200円コーナーにさしかかる。
「まさか、ここに『「明治」という国家』の[下]が偶然にささっていたりして」
な〜んて、妄想をしながら棚の本を目で追っていたら……。
あった!
[下]だけが遠慮がちに駄本に紛れてならんでいるではありませんか。もちろん即買いでしたぞ。よかった。これで晴れて読書会の当日が迎えられる。めでたしめでたし。