磯田道史『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』(NHK出版新書)を読んでいる。この本、先月に出版されたばかりである。だが、読み進めるうちに「読んだことがあるな」と思いはじめる。巻末を確認すると、《*本書は、二〇一六年二月に小社から刊行された「司馬遼太郎スペシャル2016年3月(100分de名著)」の内容に加筆した上で、再構成したものです。》とある。なある……。だから読んでいて既視感がところどころであったんだなぁ。
そこで書庫を調べる。「司馬」とタイトルにあれば何でも購入しているワルシャワ図書館にないわけがない。早速、掘り出して読み比べてみると、かなり加筆がされている。「100分で名著」と支柱になっている部分は同様だけれど、司馬論はさらに補強されていた。いかに現在の日本が形成されてきているのかが、名著『国盗り物語』『花神』『「明治」という国家』『この国のかたち』を読み解きつつ、体型的に分かりやすく論じられている。
どうでもいいことを思い出した。
1年前の読書会で、この『「明治」という国家』を課題図書に指定したのだけれど、満足に吟味できずに、メンバーからは「終わった作家」「前時代の作家」などと言いたい放題で、ワシャのほうも鉾を収めてしまった。クヤチー!
それから司馬さんとは距離を置いていた。1mくらいだけど。でも、磯田さんのこの本は、もう一度司馬作品に向き合う気力を奮い立たせてくれた。司馬文学を読む場合には、個別の小説ごとに理解するのではなく一連の流れに沿った一巻の歴史巨編として当たっていく、そういった視点を与えてくれた。
そうか、司馬遼太郎は日本の司馬遷であり、司馬作品は日本の『史記』なんだな。腹に落ちた。
もう一度、膨大な司馬作品を読み返すどー!