原田伊織『明治維新という過ち』(毎日ワンズ)を読んでいる。この本を読む経緯にはすったもんだがあったのだが、それはまだその渦中にあるので、ほとぼりが冷めてから書きたい。
さて、その内容である。強引に一言でまとめれば「幕末維新史の全否定」ということになろうか。原田氏の主張をいくつか要約して拾いたい。例えば……
「坂本龍馬は、アヘン戦争の中心的役割を果たした英国マセソン社(死の商人)の長崎代理店の手先に過ぎなかった」
「勝海舟は、徳川幕府を薩長に売った張本人で、ほら吹き男だった」
「廃仏毀釈は、ISによるパルミラ神殿の破壊、タリバンのバーミヤン遺跡の爆破などを上回る歴史文化の破壊であった」
「西郷、岩倉の組織した赤報隊は、放火、略奪、強姦、強殺をするテロリスト集団だった」
「幕末の四賢侯は、机上エリート、幕法違反者、こすっからい男、水戸学かぶれ」
「桂小五郎、吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、井上馨などは、長州藩そのものが厄介者としていた。若手テロリストである」
「仲間内でハクをつけるための無差別殺人というのは、その残虐さにおいて後世のヤクザの比ではない」
ワシャは司馬遼太郎の小説群が好きである。そこに登場する松陰も、晋作も、稔麿も、好青年だと思っている。しかし、原田氏のように「長州テロリスト」という切り口から見てもおもしろい。確かに彼らはみな二十代の若造である。ある方向性において、フランスやベルギーでテロを起こした若造たちと相通じるところが多い。
原田氏、松陰に関してはかなり厳しいですぞ。
《ひと言でいえば、松陰とは単なる、乱暴者の多い長州人の中でも特に過激な若者の一人に過ぎない。若造といえばいいだろうか。今風にいえば、東京から遠く離れた地方都市の悪ガキといったところで、何度注意しても暴走族を止めないのでしょっ引かれただけの男である。》
司馬遼太郎の『「明治」という国家』の副読本として読んでいるが、視点が違うので物事が立体的になってくる。ううむ、やっぱり幕末、明治は興味が尽きない。