岐阜の衰退

 岐阜柳ケ瀬にシャッターが増えている。ご多分にもれず地方の商店街の崩壊が進んでいるのである。美川憲一が唄った「柳ケ瀬ブルース」の頃の情景は、今や遠い昔の話であろう。
「青い灯影に つぐ酒は ほろり落とした エメラルド〜♪」
 青い灯影は、柳ケ瀬のネオンの輝きですよね。その光を受けて、男にもらったイヤリングが青くきらめいている、あるいは涙なのかもしれません。少しやつれたジンビーなチャンネーが、去っていった男を想って独り酒……そんな風情ですかね。
 唄にまでなった盛り場というイメージは柳ケ瀬にはもうない。どこにでもある中核都市の駅前の飲食店街くらいのイメージに落ち着いている。往時の繁華を知っているワシャからすると淋しい限りじゃ。

 柳ケ瀬の衰退、ひいては岐阜市の元気のなさは、昭和39年にまでさかのぼる。おそらく新幹線が岐阜駅まで来ていないことが、この町の勢いを削ぐ結果を生んでいると思う。一説には当時の大物政治家の大野伴睦岐阜市に新幹線を通さず地元の岐阜羽島を経由させたためと言われている。しかしそれは違う。実際に名古屋から関ヶ原方面に線路を敷くと、岐阜羽島あたりを通過したほうが近い。岐阜市を通ると新幹線は北へ大きく「へ」の字に曲がるのは確かだ。名古屋から関ヶ原に真っ直ぐ線路を敷く、国鉄はこれにこだわり、調整役として間に入った大物が「だったら岐阜羽島に駅をつくれや」としたらしい。でも、それだったら大垣に駅を造ればよかったし、百年の大計に立てば、大野が力を尽くして新幹線岐阜駅を誘致すべきだった。実際に新幹線は、熱海あたりでも南に「V」の字に折れているし、京都付近だって大きく北へ「へ」の字に迂回している。岐阜市を通せば東京−大阪間の時間が数分余分にかかったかもしれないが、それでも都市間輸送ということを考えれば、名古屋市の次は岐阜市と考えるのが妥当だったのではないか。

 ワシャは基本的に大野伴睦という政治家が嫌いである。めんどうくさいことは省くけれど、要するに、鳩山一郎(アホの由紀夫の祖父)と行動を共にしていたのだが、裏切って吉田茂の派にはしった。その時に大野と対立したのが、ワシャの好きな三木武吉である。「三木好き」なので「大野嫌い」ということなのだ。三木もかなりの曲者である。が、どこかに颯々した雰囲気を持っている。ところが大野伴睦には灰汁の強さと中身のなさしか感じない。叩き上げの党人派で浪花節的な浅慮の人という印象が拭いきれない。
 とにかくこの凡才ではあるが、大物の与党議員の関与(というか不関与)で、岐阜市に新幹線の駅はできなかった。おそらく三木武吉が地元の代議士なら、百年先を見据えて、どんなことをしてでも岐阜市に新幹線を迂回させたに違いない。そうすれば今頃柳ケ瀬は、大繁華街になっていただろう。岐阜市政令指定都市になっていたかもしれない。

 モノの悪い政治家が多いのは、なにも昨日今日はじまった話ではない。頭は空っぽでもふんぞり返っていたやつは日本中にいた。その一部が、目立ちたいだけで空疎なことをペラペラしゃべるねーちゃんに置き換わったくらいのことで、昔から政治家の質など変わっていない。出たいやつは出したい人ではないのだ。