柳腰外交の果てに

 昨日、ワシャがもっとも尊敬する政治家を三木武吉だと書いた。それは三木武吉を知って以来、清濁いろいろな事歴が判ったがそれでも変わらない。
 反対に数多いる政治家の中で、とくに嫌いなのが仙谷由人氏である。この人、平気で人を騙す。息を吐くように嘘をつく。彼が政権の内にあったとき、権力者として種々の局面で国民を欺こうとしたことは、今さら書き連ねるまでもない。
 政治家は権力闘争の中で、権謀術数に長け、清濁併呑する器量も要求される。それはそれである。その上で颯々とした雰囲気をまとわねばならぬ。政治に関わらぬ普通の人たちにとって政治家などという種族はしょせん「ワル」なのだ。そのイメージはなかなか払拭できるものではない。だとするならば、せめて爽やかなワル、颯爽としたワル、可愛いワル、頼りになるワルになるべきであろう。それが仙谷氏には欠けていた。
 この人の罪は重い。この人が「柳腰」と言い換えた弱腰外交のツケは、今もボディーブローのように効いている。
 尖閣諸島の傍若無人な振る舞いに重ねて、日本の領土のあちこちで支那中国の干渉・攻勢が始まった。
【中国、ガス田新施設…官房長官「重大な懸念」】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130703-00000536-yom-pol
【中国海洋調査船沖ノ鳥島沖のEEZ内を航行】
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130703-OYT1T01101.htm?from=ylist
 毅然とした態度をとらず、ひたすら優柔不断な外交に終始した仙谷氏の官房長官としての責任は重大だ。仙谷氏がぶち壊す前のところまで戻すのに、どれほどの資金と労力を費やさなければならないのか。
 虎は死して皮を残す。大ネズミが床下に残した禍根は、時間とともに土台を腐らせていく。
 三木武吉を望むことは叶わないが、せめて普通の政治家であったなら、どれほど今の日本が楽であったことだろう。仙谷氏、カミソリの異名をもつ官房長官に並べて「赤い後藤田」と言われていた。強面という共通点があったのかもしれないが、その本質には、雲泥の差があると思っている。
 そこはどこか。一言で決め付けるなら「後藤田正晴は卑怯者ではなかった」ということである。
 それは三木武吉にも共通する点であり、政治家が政治家であろうとするなら、他に何の才能がなくても、この一点だけは失ってはいけない。
 あの弱腰外交が、卑怯な振る舞いの果てにあったことは歴史的事実である。
 司馬遼太郎は、関ケ原合戦で西軍から東軍に寝返った小早川秀秋を主人公にした「金吾中納言」(きんごちゅうなごん)という短編をを書いた。ぜひとも、仙谷由人を主人公に「弁護チ由納言」(べんごちゆうなごん)(苦しい・笑)を書いてほしいものだ。