夕べの「報道ステーション」で、コメンテーターの後藤賢次氏の詭弁が凄かった。自民党が改選前議席を6つ増やし、公明党が5つ増やした。これに対して民進党は9つ減らし、社民、生活も1人ずつが落選している。にも関わらず、政権与党は敗北したという理屈を展開した。なんのこっちゃ。
要するに普天間問題を抱える沖縄や、TPPに揺れる東北などの11選挙区の1人区で競り勝ったことを声高に叫んでいるわけだ。でもね、その他の1人区では21敗しているわけで、冷静に考えればWスコアで負けているんですぞ。
プライムニュースに出演していた松原仁衆議院議員(民進党)も、言っていることが訳がわからなかった。「改選議席を減らしたが、3年前の参院選よりも議席を増やしている。だから善戦したと言える」と変な理屈で「敗けていない」ことを強調した。そりゃ禁断の共産党と手を組んで票を上積んだのだから票数の拮抗しているところは勝つこともあるでしょ。しかし、それでも岡田帝国である三重で19000票の僅差でしか勝てなかったことを猛省しなければならない。「過去から学ばない」これが民進党の宿痾か。
共産党は参院選の前に9議席を目標としていたが、結果として6議席。頭の悪そうな若者と組んで喚いていたが、有権者は賢明だったということ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160711-00000035-asahi-pol
志位(ずーっと)委員長は「野党4党で、安倍政権での憲法改定は認められないと、引き続き主張していく。安倍政権の暴走に立ち向かう若い方々と一緒に戦ったというのは大きな収穫だった」と負け惜しみを言っている。野党共闘をした民進を踏み台にして一気に議席数を伸ばすかと思いきや、それほどのことはなかった。やはり大陸の共産党と同じ名前で、なおかつ委員長が「左!」と言えばみんなが「左」を向くような政党では国民の信頼は得られまい。今回の改選議席数から言えば、「おおさか維新」を下回ったわけだから、あなたたちはあまり「国民の声」を代表していないというこっちゃ。
社民党である。一時期は「社会党」として政権をうかがう勢いもあった。しかし、北朝鮮の友党であったり、反日思想が強かったために、国民から見放されて、ついに参議院で1人というありさまになった。コラムニストの勝谷誠彦さんは「消滅」と言っていたが、辛うじてみずほタンが引っ掛かった。10数年前、「朝まで生テレビ」で勝谷さんとみずほタンが劇論を交わしていた頃はまだまだ社民党は元気があった。ワシャは「消滅」とは言わないけれど、「臨終直前」とは言っておこう。
問題は個々の政党の話ではない。参議院そのものである。今月の「文藝春秋」に前自民党参議院議員の脇雅史氏の手記が掲載されている。題は「参院自民党は死んだ」である。この中で脇氏は言う。
《あえて強い表現を使えば、国会は「言論の府」として死んでしまったように思うのです。》
脇氏は、参議院議員会長の溝手顕正氏と「一票の格差是正」で対立した。改革を主張した脇氏は、仲間の延命ばかりを考える溝手会長に幹事長を更迭されてしまう。その上に、元首相の森氏も、がんばる脇氏を引きずり降ろすべく暗躍したというから参議院の独自性など微塵もなくなってしまった。そのことを捉えて「言論の府は死んでしまった」と言っている。
まぁそもそも最近の参議院は衆議院との違いが見えないよね。今回返り咲いた「おおさか維新」の渡辺喜美氏は、この間まで衆議院議員だった。国会議員ならどっちでもいいということらしい。落選した中にも、元衆議院議員というのは散見される。やはり衆議院とは違った味を出さないと、それじゃダメじゃんという話である。
質もどうなのだろう。政治家の質はひとえに国民のレベルにかかっている。そう思えば仕方ないのかも知れないが、それにしても人材はいないのだろうか。
時事通信社の田崎さんが嘆いていたけれど、三原じゅん子とか今井絵里子になにをやらせたいわけ?聖子ちゃんカットのおばさんもご健在のようだし、もう少しまともなのはいなかったのだろうか。「有名なら誰でもいい」という党本部の考え方は限界にきていると思うのだが。