米内光政

 72年前の今日、マリアナ諸島とフィリピンの間に横たわる広大な海域で大海戦があった。日本からは空母9、大和、武蔵、長門など名戦艦をはじめとして56隻。米国は空母15を中心にして107隻であった。
 陣容の数値としてはアメリカのほうが有利である。とはいえ戦い方によっては互角、あるいは勝利を得ることも可能だった。だがやはり負けた。この敗北により日本海軍は戦局を立てなおす能力を失った。対等な国が戦うということに関して言えば1944年6月に終わっていたのだ。それをむざむざと状況を継続をした軍首脳の罪は重い。
 年表を見ていて、マリアナ沖海戦を思い出しただけなんですよ。それにしては前置きが長かったですね。
 マリアナ → 海戦 → 海軍首脳……とここまで連想して、ピンと閃いたのが「米内光政」という人名だった。米内光政、海軍の人である。第37代の総理大臣も務めた。人物伝としては阿川弘之『米内光政』(新潮社)が有名であろう。官僚バカのはびこる日本軍の中において、数少ない良識派であり、開戦にもっとも反対した軍人でもあった。
 昭和16年12月の日米開戦直前に、宮中の懇談会において米内が上申した言葉である。
「いわゆるジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬよう御注意願いたいと存じます」
 米内は無口な軍人であった。政治家としてもほとんど演説をしなかった。口をきくのが面倒くさいのではないかと噂が立つくらい。その米内が昭和天皇の前でこう言ったのである。
 もう少し説明を加える。このころ軍部には「対米強硬論」が沸き起こっていた。
経済制裁を受けて重要産業は全機能を失いジリ貧になって四等国になるよりは戦って国益を守るべきだ」
 乾坤一擲、今なら米英に勝てる、そう軍部は思い込んでいた。ところが視野の広い米内にはジリ貧の先のドカ貧が見えていたのである。
 マリアナ沖海戦で大敗北を喫したとき、日本はジリ貧だった。この情報を軍部は隠ぺいしてしまった。当時、総理大臣を引いて下野していた米内の耳にも伝わらなかった。日本はジリ貧を通りこしドカ貧に向かっていく。国の転轍機を握る閣僚官僚を誤ると国は滅亡する。
 そして、誤った情報に踊らされた衆愚によってドカ貧に突き進む、これもどうやら現実らしい。
大衆を衆愚にしないためにも、正誤に関わらず、情報を開示すること、その情報をきっちりと咀嚼するリテラシーをつけさせること、これが重要である。衆愚の一員としてホントにそう思う。