雪風

 昭和15年1月20日に竣工した一隻の駆逐艦である。「雪風」はその後、終戦まで西太平洋を縦横無尽に戦い抜く。インドネシア・スラバヤ沖海戦、ミッドウェー海戦、ソロモン海海戦、コロンバンガラ島沖海戦マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、そして大和が沈んだ坊ノ岬沖海戦などなど、大海戦はもとより、中小の作戦にも常に参戦して、まさに八面六臂の活躍をした艦であった。

 ワシャの手元に昭和45年の「文藝春秋」の臨時増刊号、「太平洋戦争 日本軍艦戦記」という雑誌がある。この中に「なつかしの名鑑ベスト5」という特集があって、元日本海軍の船乗りたちが、自分の薦める名鑑を5つずつ挙げている。やはり「大和」とか「長門」という戦艦クラスが人気なのだが、その中にあって駆逐艦雪風」がすごい人気なのである。特攻戦隊参謀は「いくたびか苛烈な戦闘に参加しながら、無傷のまま終戦を迎えた不死身の駆逐艦」と言い、軍司令部部長は「最高に訓練され、かつ武運めでたい軍艦である」と褒めている。駆逐艦の「神風」艦長は「大和とともに出撃、大空襲にもめげず生還任務をまっとうした」と答え、海軍主計大尉は「その活躍は、航空母艦と同様に、この戦争中、もっとも具体的なそしてはなばなしいものではなかったか。その激戦をくぐって無傷で残った」と讃える。その他にもこの名駆逐鑑を戦艦や空母と並べて、あるいはそれ以上の評価をしている海軍軍人の多いことよ。

 昭和48年の同じく臨時増刊号の「目で見る太平洋戦争史」の中では、元海軍大尉の「雪風」の航海長だった方が「雪風その不沈の生涯」という記録を書いている。この方は、昭和20年2月からの乗船なので、大海戦の経験は大和特攻の坊ノ岬沖海戦しかないが、それでもあの「男たちの大和」の風景の中に間違いなくいたわけで、それはそれで必死の戦いではあったが、人生の中で他者に誇れる金字塔の体験をされたと言っていい。

 明日にかけて、ちょいと「雪風」のことを書いておきたい。