組織

 戦国期の毛利家と織田家を比較した文章がある。
《毛利は、なるほど堅実で律儀であろう。しかし家風に弾みがなく、暗く、華やぎというものがない。
(そのことは、致命的である)
 と官兵衛はおもっていた。官兵衛がおもうに、人も家風も、華やぎ、華やかさというものがなければならない。でなければ人は寄って来ぬ。》
 司馬遼太郎『新史 太閤記』の中のものである。

 組織論などという大袈裟なものをひろげる気はない。しかし、現代の我々は大なり小なり組織に編成されて生きている。その組織がどういったものであると面白いのか、有意義なのか、ちょっと考えた。
 組織が堅実であること、これは重要なファクトであろう。事業が投機的で杜撰であってはならない。義理に厚く実直であることも、組織の美風である。しかし、それには大前提があって、コアの部分を、暗く華やぎがない人物群に占められると、組織はあっという間に荒涼としたものになっていく。
織田家をみよ、と官兵衛は思うのである。なるほど主将信長は権詐にみちたゆだんならぬ大将であろう。しかしその華やかさは、古今に絶している。天下の人材は織田家の華やかさを慕ってあつまり、信長もまた卒伍のなかから才能をひろいあげてはつぎつぎに大将に仕立て、将も士も器量いっぱいに働いている。まるで才華の大群落を見るようではないか。》
 組織は明るい方がいい。ナショナルだって「明るいナショナル」と言っていた頃のほうが元気だった。それはしかし中枢の根っから持っている風のようなもので、華のない上に当ってしまった人々は「残念だったね」としか言いようがない。