自分以外はみんなバカ

 中央官僚、とくに大蔵系に多いタイプだ。
 予算書や決算書に強く、理路整然とした議論ができる。細かいところまで目が届き、実務派で手堅い仕事をする。これはこれで組織としてはとても重宝な人材である。間違いがないから安定的な仕事をする。だから中央官庁にこの手の人間が集ってくる。支那の制度でいえば「科挙」などで選抜される記憶力秀才たちがそうなのだ。
 この手の人材が「平時」にある程度の力を発揮することは事実であろう。実際にそれで堅実な行政を実施してきた。
 でもね、「乱世」あるいは「戦時」になると、とたんにこの「自分以外はみんなバカ」タイプの秀才は役に立たなくなる。まさに70年前にこの国を破壊し尽くしたのが「自分以外はみんなバカ」と思っている軍官僚秀才だったことは、霞が関の省庁前の歩道に従軍帷幄夫像(じゅうぐんいあくふぞう)を建てて、肝に銘じておくべきだろう。牟田口蓮也と辻政信が手をとって並んでいる像なんか素晴らしいと思いますぞ(笑)。
 これはなにも中央官僚組織だけの話ではない。どんな組織においても、トップ、あるいは上に立つ人間が「周囲は自分よりバカばっかり」という浅慮で組織経営をしていくと、その組織は必ず硬直化する。
 とても有名な例をだす。織田信長である。彼は「自分以外はすべてバカ」という信念を持っていた。部下は道具でよく、自分がうまく使いこなせるモノのいい道具であるかどうかが大切であった。使っていて一度でも手を傷つけたり、刃こぼれしたりすると、容赦なく廃棄・破壊した。残った道具の中でも愛嬌のある手に馴染むものを重用した。要するに、信長が、自身で使いこなしているように感じさせ、かつ信長よりもバカを演じることのできる武将の評価が高かった。秀吉、家康などはその最たる人物だった。
 さて「自分以外はみんなバカ」主義の独裁で勢力を拡大してきた信長が本能寺で死ぬ。その後、愛嬌のある子飼の武将たちはどうしたか。織田政権を継続させようなどという殊勝なバカはいませんでしたよね。秀吉にしても家康にしても、信長が死んで、もっとも安堵したのがこの二人だった。だから未だに、本能寺を仕掛けた黒幕としてこの二人の名前が挙がってくるくらいですからね。
 信長がもっとも目をかけたと言っていい二人の武将の政権で、信長風はまったくといっていいほど排除された。否定されたと言ってもいい。信長がこねた餅は、部下二人の手で生ごみボックスに捨てられてしまった。
 それでも秀吉政権には信長臭が少し残った。しかし、その後を嗣いだ家康によって完全に葬り去られてしまう。家康にしてみれば「自分以外はみんなバカ」と思うバカの失敗事例を嫌というほど学習していたのである。「自分以外はみな我師である」というスタンスに立って人の意見に耳を傾けた。必ず自分の意見・感情だけでは動かなかった。
 家康の生涯のブレーンに本多正信という策士がいる。彼は家康少壮の時代の「三河一向一揆」で家康の敵軍の将だった。家康創業期の三大危機に敵だった大将の一人である。それを許し、生涯の参謀として重用した。信長ならそっこく首をはねていたに違いない。だから信長は命運・政権とも短命であり、後世になにも残せなかった。自分がバカになれた家康は、その後の300年に近い平和安定の時代を構築し、一族郎党の繁栄を手にするにいたる。
「自分以外はみんなバカ」などと思って君臨していると本能寺でやられまっせ。

 ジャーナリストの日垣隆さんが、イトーヨーカ堂ユニクロの苦戦について次のように書いておられる。
ユニクロセブンイレブンも創業者が長く指揮を続けた結果、ついには有能なカリスマ・リーダーを2年前には突き抜け、まぬけな独裁者になっていたことに内部で何の対応も打たれなかった」
 どちらの創業者もこの頃は「自分以外はみんなバカ」と思っていたに違いない。