信九郎物語

 夕べ、ちょいと深酒をした。深酒なのだけれど、いい酒だった。昔は深酒をすると泥のように眠れたものだが、最近はどうも浅くなってしまった。だから早朝から司馬さんの短編を読んでいた。
《京から、蛾眉のような北摂の山々を右にながめつつ、摂津西宮の浜に出る古街道を「西国街道」という。》
 この書き出しで始まる小説は「信九郎物語」と題されている。信九郎とは主人公の名で、大坂の陣で活躍した長曾我部康豊の一代記である。文庫で32ページの短いものであるが、その中にいろいろな話が織り込まれ、いい交響曲を聴き終ったあとのような余韻が残った。
 物語が始まってすぐに、土佐の旧臣が現われ、厳かな加冠の式を行う。時代は慶長年間である。主人公が大坂の陣に参戦することは容易に想像できる。だから、読者はのっけに「悲劇」を予感させられる。しかし、その思いは見事に裏切られるんですね。これが心地いい。伏線も縦横に張り巡らされ、読者はまんまと陥穽にはまるのだった。
「文学は音楽に敵わない」と言ったのは百田尚樹さんだが、音楽のような文学もあるとワシャは思うのだった。