コラム二題

 昨日の朝日新聞朝刊、看板コラムの「天声人語」はもちろん1面に載っている。そして、ワシャがいつも楽しみにしている天野祐吉さんのコラム「CM天気図」もオピニオンの紙面に掲載された。

 まず「天声人語」は声優の納谷悟郎さんの訃報に反応している。訃報ってコラムにするのはけっこう楽なんですよね。コラムの冒頭は同業の野沢那智さんのエピソードから入っていく。
《洋画の吹き替えなどで知られた野沢那智(なち)さんは、マイクの位置からこだわった。おはこのアラン・ドロンを演じる時は画面に向かって左端。他の声優陣に斜めに背を向け、うつむき加減になる。「この姿勢じゃないと、彼の孤独な、センチメンタルな雰囲気がうまく出ない」》
 野沢さんが吹き替えのときにマイクの位置にこだわった話である。この話題はウィキペディアにも掲載されているので、そこから引っ張ってきたのかな。安易だなぁ(笑)。
 野沢那智さんの話から始まれば、納谷悟郎さんが亡くなったばかりだから、野沢→納谷の流れになることは、容易に想像がつく。総文字数623字の内、172字を費やして見え見えの導入部を一所懸命に作っている。ご苦労様。
 続いて173文字目から納谷さんの話になっていく。
《声だけの演技には、研ぎ澄ました感性が要る。話術を超えて、演者や配役への思いが声色に出るらしい。83歳で亡くなった納谷悟朗さんもそんな役者だった。俳優の自覚ゆえ、声優と呼ばれるのを嫌った。ごつい岩のような濁声は地ではなく演じたもの。40年近くやった「ルパン三世」の銭形警部は憎めぬ三枚目に、チャールトン・ヘストンなら頼れるリーダーに聞こえた。》
「声優と呼ばれるのを嫌った」とか「濁声は地声ではなかった」というエピソードは、これもウィキペディアから拾える。後段の文章「40年近く……」以下は天声人語氏の感想なのだが、こんなこと古い映画ファンならば、皆、そう思っているわさ。陳腐な感想と言っていい。
《好みは洋画より「声の芝居ができる」アニメだという。初期の銭形は原作通りの二枚目風だったが、クールなガンマン次元(じげん)大介と重ならないようズッコケ調に。自在に対応できたのは、人物を一から作っていく舞台経験のお陰と顧みる。》
 前段の話も、ルパン3世のファンならば周知の事実で、斬新さはない。
《「舞台をきちっとやるべきだと思いますよ、声優さんも……ラジオドラマだけやってた人だって、ちゃんと芝居やってたんですからね」。ベテランたちの独白を集めた『演声人語(えんせいじんご)』(ソニー・マガジンズ)にある。》
上記はまるまるの引用。引っ張ってきたけれど、前の文章としっくりとしていない。ただ引けばいいというものではないのである。
《18年前の春、声仲間、山田康雄さんへの弔辞は語り草だ。「おい、ルパン。これから俺は誰を追い続ければいいんだ」。銭形の怒声は涙で震えた。》
 この弔辞も、あまりに有名すぎて、コラムニストが書くには恥ずかしいレベルの話だと思う。天声人語氏、よく書けたな。
 そして結はこうだ。
《その宿敵と、にぎやかに再会した頃か。「ここまで追っかけて来ちまったのか、とっつぁん」》
 要するに、天声人語氏は最後のフレーズの「ここまで追っかけて来ちまったのか、とっつあん」を思いついた。彼岸にまでルパン三世を追いかけていく銭型警部が脳裏に浮かんだ時「これだ!」と膝を打ったに違いない。その思いつきに、前段のグダグダをくっつけたというお粗末(笑い)。結論ありきで組み立てていったので、コラム全体が平板な印象を拭いきれない。最初から最後まで、声優にまつわる話で終始する。終始しているわりに、筋が一本通っていないので、平板の上にピントがずれている。

 天声人語に比べると、天野祐吉さんのコラム「CM天気図」はさすがにうなってしまう。テーマは「日本人は数字に弱い」である。
http://digital.asahi.com/article_search/s_list3.html?keyword=%A1%D2%A3%C3%A3%CD%C5%B7%B5%A4%BF%DE%A1%D3&s_title=%A1%D6%A3%C3%A3%CD%C5%B7%B5%A4%BF%DE%A1%D7%B0%EC%CD%F7&rel=1
 ここで見られるのだが、朝日新聞は「見るなら金を出せ」と脅す。それにまだ12月分のコラムまでしかUPされていない。金に汚い上に仕事も怠慢だわさ。
 ご覧になりたい方は、3月13日付けの朝日新聞朝刊オピニオン欄を。

 さて、天野さんである。コラムの冒頭から、テーマそのものをまな板の上に「ドン!」とのっけてくる。
 その上で、CMを3つ並べて「数字の怪しさ」を説く。掃除機の吸引力、映画の動員数、ケータイの接続順位と順番に実例を示しつつ、47文字、66文字、195文字と、文章のボリュームを少しずつ増量していく。読者はこの手練で、徐々に天野さんの文体に慣らされ、スムーズにコラムの 核心に誘われていくのである。ここまでが前半で350文字。
 後半に入るところで、天野さんは声を発する。
「うまいねえ」と書き手の合いの手を入れることにより、読者の気持ちを天野さんの本道であるCM批評に切り替えていく。うまいねぇ。
 3つ目の実例、ソフトバンクのケータイのCMを取り上けて、登場人物の樹木希林が、ソフトバンクの統計数値に疑義をはさむところを、したたかだと評価する。
 その直後に《「東京人の32%は外出時にマスクをかける」という調査がある。》と挿入してくる。ソフトバンクの前振りがあるので、読者は「これも危ない数値じゃないの」と疑ってしまう。これも天野さんの仕掛けである。
 この後、「花粉症」の話で季節感を醸し、「大気汚染」で時事ネタをはさんでくる。そして文末。
《この調査は、ぼくが青山の骨董通りを歩いている間に、すれ違った人100人中32人がマスクをしていたというだけの調査なので、気をつけるように。》
 と、読者の予測を超えて、さらにストンと落とす。お見事。これぞ本物のコラムニストのすごさである。天野さんと比べると、天声人語の芸のなさは末期的な様相を呈している。これで、コラムニストを名乗ったら詐偽みたいなものだし、下手の書いた文章を一般人に書き写させようなんて、おこがましいったらありゃしない。
 天声人語氏、天野祐吉さんのコラムをせっせと臨写したほうがいい。