私にしか書けない?その2

 先月の日記で、
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20130423/1366669102
新潮45』の5月号に掲載された作家の岩下尚史氏の文章について触れた。最後はこう締めくくっている。 
「来月号にもこの人の歌舞伎に関する文章が載るようだから楽しみにしておこうっと」
 もちの論、6月号も買って読みましたがな(笑)。またまたおくゆかしい文章が載っていましたぞ。
 まず、全文は11,000字ある。原稿用紙換算で28枚。それが4章、135の文から成っている。一文あたり82文字程度。ううむ、司馬流から言うと少し一文が長い。作為もなにもなく、手元にある司馬さんのエッセイ集から11000字ほどのものを選んで文の数を数えてみた。「出離といえるような」というエッセイなのだが、190文から成っていた。一文あたり57文字。
 もう一例、文章の上手いジャーナリストの新書を11000字分切り出して数えてみたが187文で書かれていた。平均すると58文字、それと比較しても、やはり長いな。

《芝居の景気は興行会社の帳元しか分からないとは言いながら、私のおぼえにある昭和五十年代の歌舞伎座では、暑中は三波春夫などの歌手芝居、年の暮には大川橋蔵による女優混合の芝居が掛かり、そのほかにも新派劇で埋める月もあると云うふうで、一年中、歌舞伎で幕を開けると云うことは難しかったようです。》
 第1章の前半部分の一文である。143文字で、昭和の終盤の歌舞伎人気の厳しさを書いている。
 論意はひとまず措いておいて、上記の文章に2回続けざまに出ている「と云う」という言葉である。これが本文章中32回出てくる。「と云う」は、通常なら「という」だろう。あるいは「と言う」と書くのかもしれない。ワシャは司馬さんに倣って「という」を使っている。
 岩下氏は拘りをもって「と云う」と書く。それは自分が「言っている」のではなく、他人の発言を引いているという意味で「云っている」と書いているのかなぁ。どちらでもいいのだが、これが32回、それも特定のページに集中して使われているので、やや目に障る。それに「見物と言えば」と使ったかと思えば、同じページの中で「看客と云えば」と使う。「言う」と「云う」が混在しているところも気になった。

 さて、論意である。文章は4つに分かれている。
 第1章が「勘九郎の決死の思い」と題し、実は傾いていた歌舞伎を決死の思いで建て直したのは、他ならない十八代目勘三郎(前勘九郎)だと言っている。ワシャもそう思う。
 第2章は「玉三郎の様式美」。冒頭に三代目猿之助の話をして、かれが歌舞伎ファンの獲得に尽力したことも認めている。ワシャもそう思う。
 猿之助の次に玉三郎の美しさを取り上げて、「看客の美に対する最大公約数を、みごとに実現する名優」と言っている、いや、「かも知れない」と言う。それもそのとおりだとワシャは断言する。
 勘九郎猿之助玉三郎が熾したブームで、変化したのは《なんと申しても看客側と云う気がします。》と第1章、第2章を結んでいる。
前回とは打って変わって、岩下氏、ここまで庶民の看客をくささずに書いてきた。だが、第3章、第4章は、やっぱり「看客」に踏み込んでくる。題して「油断ならない看客」と「素人に限って」である。
 岩下氏、明治までさかのぼって、歌舞伎を支えてきたのは花柳界の女たちで、庶民ではないと思っているらしい。
 確かにそういった側面はある。しかし、歌川豊国の「芝居大繁昌之図」
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/collections/view_detail_nishikie.do;jsessionid=0DD3584A99186B8569292B1CDB8B0848?division=collections&trace=detail&istart=all&iselect=%E3%81%97&did=1422&class=nishikie&type=title
を見ていただきたい。
 確かに花柳界のお姐さんたちもいる。歌舞伎役者のために湯水のごとく金品を使うことのできる旦那もいるだろう。でもね、よくごろうじろ。舞台正面の平土間に長屋で暮らす庶民もたくさんいるのだ。黒腹掛けの職人が3人見える。鉢巻をしている男もいるし、いかにも裏長屋のおかみさん風のおはぐろ女もいる。わんさか詰めかけているのは、これは庶民ではないのか。
 岩下氏は言う。
《現代人が江戸の芝居を思い浮かべるときに、いわゆる茶屋を通さない、立見場の熊五郎八五郎によって、江戸三座の繁盛が支えられたと思うのは、敗戦後の時代劇の映像から来る、可憐な幻想なのだと思います。》
 歌舞伎を支えてきたのは、花柳界の女たちであり、けっして庶民ではないと氏は言っている……というか思っているんでゲスな。
 ワシャはもちろん江戸時代を知らない。でも、江戸の芝居小屋を描いた浮世絵にはちゃんと熊五郎八五郎が描かれているではないか。氏は続ける。
《あのような喧騒が見られたのは、》
ここで言う「喧騒」とは、熊五郎八五郎ら庶民が大らかに歌舞伎を楽しんだことを指しているのだが、どうも、氏の、字の使い方が、どこか熊さん八つぁん(庶民)をバカにしているような気がしてならない。
《寺社の境内で臨時に打たれた“宮地芝居”あるいは“おででこ芝居”だったのではないかと想像するのですが》
 この人、すぐに想像したり、思ったりするのだが、不確かなことを事例に挙げて庶民という「観客」が歌舞伎を楽しむことを貶めるのは止めてほしい。
 想像したり、思ったりするばかりだから、自信がないのだろう。この後に続く文でこう逃げている。
《もう、このあたりで預かりにしましょう、学者でもない凡中凡下の市井人が何を申したところで。》
「凡中凡下の市井人」ってご自身のことを言っているの?思ってないくせに(笑)。
 この後も、《私のように芸のほかには興味のない懐古趣味の者には、歌舞伎と云う演劇を論じる資格はなさそうです。》とか《私のような芝居の門外漢と云うものは……》と必要以上の謙遜をなさっている。そう思っているなら、『新潮45』の原稿依頼を断ればよかったじゃん。
 
 でもね、「当代きっての見巧者」(笑)と云われる岩下氏の「観劇のススメ」はおもしろかった。6月号が出るのが待ち遠しかったし、6月号掲載分も期待にたがわず楽しい。じっくり読み込むと、多くの文が、不確かな断定、推定によって成立していることがよく解りましたぞ。おっと、ワシャも「多くの」などと不確かなことを言ってはいけない。数字で示そう。
 6月の氏の論文中、4割強が「でしょうか」「ようです」「思います」「気がします」「感じのするものです」などの推定を臭わす語尾となっている。一番多い「思う」系で22文、「でしょう」系は13文ある。「思う」というのは,本人が思っているだけなので、根拠が曖昧であることは論を俟たない。
 曖昧な話で、庶民をくさしてばかりいないで、熊さん八つぁんと同じ土間まで下りてきて歌舞伎を楽しめばいいのにねぇ。
 おっと、それこそワシャなんか、庶民の中の庶民なので、歌舞伎という演劇を論じる資格はないし、見巧者にケチをつけるなんざ、こいつは百年早かった。失礼があったというならば、お詫びしておきましょうかい。

 歌舞伎をお好きな庶民の方、ちょこっとムカッとしますけど、なにしろおもしろい論文なのでぜひご一読をお薦めします。

【おまけ】
《それでも、つい三十年ほど前までの、いわゆる“と・ち・り”(歌舞伎座の七・八・九側)の良席で見ていた常連といえば、一流地の芸者あるいは俳優の後援会に入っている婦人客でした。》
「と・ち・り」「七・八・九側」の良席といってもこの席をイメージできる『新潮45』の読者がどれほどおられるだろうか。以前の歌舞伎座は舞台から「い、ろ、は、に……」と列番号が決められていた。新しい歌舞伎座はそれが「1、2、3、4……」に変った。前から7〜9列のことを言っていると思うのだが、よほどの常連でもなければ「と・ち・り」では判るまい。カッコ書きの最後につけた「側」ってどこなんだろう。説明が不親切というか、「歌舞伎を知らない奴なんか相手にしないもんね」オーラが出まくっている(笑)。