『徒然草』の第四十一段に、吉田兼好が上賀茂神社に競馬(くらべうま)を見物に行ったときのことが書かれている。そのエピソードが臭い。
今も昔も人は、大きなイベントに熱狂し、我も我もと押し寄せる。北一輝なら「衆愚の極み!」とか一喝するところだろうが、兼好はどちらかというと抹香臭い。
犇めく群衆の中に栴檀の木があって、その木の又に登って競馬を見ている法師があった。そこで居眠りをするのを下の群衆が見つけて嘲っている。
「世のしれ物かな。かく危うき枝の上にて、安き心ありて睡るらんよ」
これに対して兼好は群衆に諭す。
「私たちの上に死が到来するのも、今すぐにあるかもしれない。それを忘れて、見物して日を暮すのは、愚かなことでは、あの法師よりもなおまさっている」
この言葉に群衆は「まことにそのとおりだ」と納得して、後方にいた兼好に配慮して、「ここに入んなせいまし」と場所を空けてくれたのだった……そんな話である。
でもさ、兼好自身も競馬が見たくって上賀茂神社に行っている。そしてその群衆の中に紛れているのである。そもそも一緒じゃないか。そこで滑稽な法師を見つけて笑っている周囲の人に対して、そこまで突っ込む必要もないだろう。黙って眺めていればいいのに、兼好は元気だからどうしても言いたくなってしまうんでしょうね。666年も前に亡くなった人に突っ込むワシャも変だけれど(笑)。