友達が突然やってきた

 今日は久しぶりの休み。
 昨夜、宴会ということもあって、今朝は8時過ぎまで布団の中にいた。目はとっくに覚めてはいるんですよ。でも、温もりの中で本を読んでいるのが楽しくて、ついごろごろしていた。ようやく起き出してきて、水を飲み、バナナを一本食べた。その後、コーヒーを入れて、ニュースを見る。
 パソコンの前に座ったのは、9時を回った頃だった。「さて、天声人語でもこき下ろすか」と思ったとたん、玄関で「ワシャく〜ん」と声がする。インターフォンも押さず、そんな風に声をかけるのは、小中高と同級生だったタヌちゃんに違いない。玄関を開けると、やっぱりでっぷりと肥えた信楽焼のようなタヌちゃんがジャージ姿にタオルを巻いて汗をかきながら立っていた。タヌちゃん、隣町に住んでいる。自転車で行けば10分もかからないんですよ。だけどお互いに仕事が忙しく、どうだろうここ2年半ほど会っていなかった。「ウオーキングの途中で通りかかったので覗いてみた」とのこと。
「では、茶でも飲んでゆけ」ということになった。
 しかし、タヌちゃんは、背負ったナップザックから糖類ゼロ・プリン体ゼロ・アルコール度9%の缶チューハイを取り出してグビグビと飲んだのだった。
「おいおい、午前中から酒かよ」
 相変わらず元気なやつだ。タヌちゃんは2年半分の話を一気にして「今から用水沿いの桜を観てくる」と言い残し、帰って行った。
 それが11時頃のことだった。

 ここから「天声人語」である。今日のもひどい。ジャーナリストの日垣隆さんが『エースを出せ!』(文藝春秋)で否定されていた「墓碑銘的コラム」だったのだ。日垣さんは言う。
《訃報に接した途端、「明日のコラムはこれでいこう!」というふうな心構えになってしまうに違いない。》
《すでに速報で伝えられたことと自伝的書物や人物事典からの引用だけで成った卑屈なコラムなど、コラムの名に値しないと言っているだけだ。》
 日垣さんが指摘された不健康なコラムの典型が本日の「天声人語」だった。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12290567.html?ref=tenseijingo_backnumber
「女性建築家を惜しむ」というタイトルで、例のザハ・ハディド氏を持ち上げているだけの内容のないものである。
 1日、2日と見てきたが、今回の書き手も期待できそうもない。エースを出せよ。