鎌田刑部左衛門

 江戸時代初期のことである。鎌田刑部左兵衛という隠遁者が、河内と大和の国境の竹内(たけのうち)峠に棲んでいた。元は中国筋の覇者宇喜多家で高禄を食んだ侍であったが、関ヶ原の負け戦以降、世捨て人のような生活を10年続けている。
 そこに古田織部から使いが来る。家来になれというのである。主家を失ってから、諸侯からの誘いはあった。中には3000石という高禄の話もあったが断っている。それがわずか一万石の古田家である。
 結局、鎌田は古田織部の家臣になる。そして最終的には、古田織部の大坂方への内通の嫌疑に連座し自刃する。このあたりは司馬遼太郎の「割って、城を」という短編に詳しい。
 この「割って、城を」の中に登場する古田織部の性癖が際立っている。武辺だけが取り柄の鎌田とは対照的である。このあたりの光と影の描き方が、やっぱり司馬さんは上手い。
 さて、古田織部である。侍として秀吉、家康、秀忠に仕えている。しかし、戦場を駆って首をとってくるような武者ではない。利休居士の七哲といわれた茶人であり、茶で天下人に仕えて、一万石を下しおかれている。ある意味、数多の大名の中で異色中の移植と言っていい。
 そして古田織部、その名を冠した織部焼を造ったことでも有名である。茶器の形や文様に斬新な意匠を凝らす。アバンギャルドな作品群は好きな方にはたまらないでしょうね。でもね、その作為性の強さというか、茶碗を通して見える織部の屈折した性格のようなものがあまり好きではない。むしろ同時代の志野や大井戸の大らかさが好きだなぁ。

 鎌田刑部左衛門、古田織部との出会いによって、茶碗が釜の中で還元するように己が運命を変えていく。司馬さんにしては、そのあたりの運びがややあざといものを感じるが、それでも司馬作品、凡他の作品には大きく水を空ける佳作だと思う。

 元和元年6月11日、古田織部京都伏見の自亭にて切腹する。師の利休の処刑とともに、この事件も茶道史上の大きな謎となっている。
 このあたりも、鎌田刑部左衛門もからんでおもしろい話になっているので、未読の人は「割って、城を」をご一読ください。『軍師二人』(講談社文庫)に収録されています。