生きろ!

 司馬遼太郎が「死」について書いている。昭和29年に仏教誌に載ったものである。
 司馬さんは太平洋戦争末期に学徒動員された。まさに死ぬために学校を卒業させられ、短い訓練期間を経て、最前線に送りこまれる。「死」は目前に迫っていた。司馬さんは「死」に対して得心をつけるため、哲学書などを手当たり次第に読みあさった。しかし、それらは司馬さんの救済にはならなかった。
 戦いの夜のことである。満洲の曠野、「死」はまさに司馬さんの目の前に横たわっていた。戦いで疲れ切った司馬さんは草原に寝転がっている。おそらくは満天の星だったろう。そこで、黒い砂漠の石を握った。
「この無機物と私と、どこに違った所があるのか。全く同じではないか。すべて真如に包まれている。そしていまの瞬間、私が死ねばそれは単に真如の許に帰っていくだけのことではないか。それから先どうなるか、それは如来の御意思のままである」
 そのことに思いが至った時、司馬さんの中に静かな安堵がひろがり、あらためて生きる喜びを知ったという。
 平成元年、司馬さんは『小学国語』6年下に『二十一世紀に生きる君たちへ』という遺言を残している。
《ただ、さびしく思うことがある。》と切り出し、《私が持っていなくて、君たちだけが持っているものがある。》と続けられる。
 司馬さんは、知の巨人である。知識、英知にしても子供たちの比ではない。最新鋭ジェット機と三輪車くらいの違いだろう。その人がさびしく思うくらいに持っていないもの、それは《未来というものである。》と言われる。
《私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、二十一世紀というものを見ることができないに違いない。》
 司馬さんは、ご自身の予想通り21世紀を目前にして忽然と彼岸へ旅立たれた。
《君たちは、ちがう。二十一世紀をたっぷり見ることができるばかりか、その輝かしい担い手でもある。》
 だから死んではいけない。今、15〜6歳なら、22世紀を見ることだって夢ではないはずだ。失恋したとか、受験がうまくいかなかったとか、そんなことは過ぎてしまえばさしたることではない。いじめだって対処のしかたはいろいろある。
 知の巨人が「うらやましい」と言うほど素晴らしい君たちの未来を、自分で捨ててしまってはいけない。
 人生を楽しむめには英知が必要だ。その英知はゆっくりとやってくる。10年そこそこしか生きていないくせに知ったような判断をするな。