8月7日は、ワシャが尊敬してやまない司馬遼太郎の生まれた日である。大正12年、関東大震災の年に大阪市浪速区の薬剤師の次男として生をうけた。生まれてひと月もしないうちに大地震がおきたわけだ。大阪でも少しは揺れただろうから、生まれたばっかりの司馬さんがお乳を飲みながらびっくりしてたりして。
オリンピックでの日本の若者の活躍が目覚ましい。なんやかや言いながら、競泳陣のメダルの獲得数は11個で第2位につけている。平泳ぎの鈴木聡美、背泳ぎの寺川綾の笑顔は最高だった。
司馬さんは、若者のひたむきな努力を愛した人だったから、ご存命ならば、東大阪の自宅の居間で手を打って快哉を叫んでいただろう。
後付けのようで恥ずかしいが、ワシャは金メダルがそれほど好きではない。まぶしすぎるというか……。そしてトップというのはどうしても不遜に陥りやすい。トップの鼻息の強さに、つい顔を背けたくなる。
そこへいくと2番手3番手というのはいいポジションだと思う。敗北も味わっているので、どこそこ謙虚でおくゆかしい。日本人らしいといえる。
とはいえ、なでしこジャパンが決勝戦にのぞむと聞けば、そこはそれ日米決戦でもあるので、頑張って欲しいなぁと思うのだった。まぁテレビの前で応援している田舎のオッサンはいい加減なもんですわ。
晩年、「次の時代など来ないのではないか」と、日本人に対して厳しい批判をされていた司馬さんが、唯一、子供たちには希望に満ちた遺言状を残した。
「二十一世紀に生きる君たちへ」である。
これが大阪書籍株式会社の『小学国語』6年下に載ったのが、1989年のこと。この文章を起草するにあたって、司馬さんが念頭においていたのが、ちょうど今、ロンドンで一所懸命に戦っている若者たちの世代である。
司馬さん、日本の若者たちは頑張っています。日本人もそうすてたものではないですよ。