昨日、読書会。課題図書は見出しの『クールジャパン』(講談社現代新書)、著者は「第三舞台」の鴻上尚史さんである。「クールジャパン」という言葉は、まさに鴻上さんがテレビで発することにより、人口に膾炙してきた。
「かっこいい日本、優れている日本、素敵な日本、そうあなたが思うものはなんですか?」と外国人に質問をしていく。それに対してそれぞれの外国人はそれぞれ日本で知ったもの、日本で体験したものなどを羅列する。
例えばアイスコーヒーはクールなのだそうな。イタリア人は「私の国になくて、日本に来て初めて飲んで感動したから」と言う。その他にも「紅葉狩り」だったり「線香花火」だったり「居酒屋」もクールだったりする。挙げればきりがない。日本のように文化が何千年も煮詰められたようなところ、それも大きな文化破壊(隣の国では文化大革命というらしい)が、行われなかった場所にはクオリティの高い文化が残っている。あるいは新たな文化が煮込み汁の中から醸成されてくるのである。
仏教発祥のインドのことである。諸説はあるが紀元前500年前後に釈尊によって成立する。そこから隆盛を極めるわけだが、紀元前3世紀以降に、バラモン教がインド土着のさまざまなものと混じり合い、ヒンドゥ教に変質していく。このあたりから仏教とヒンドゥ教の並立時代がある。相互に神々を融合しつつ、例えばヒンドゥの神であるシヴァは仏教では大黒天になっているし、釈迦如来そのものがヒンドゥの神に列せられていたりもする。それはさておき、紀元800年ごろから西域から一神教のイスラム教が浸み込みはじめ、1200年ごろには大量に流れ込んでいる。これがいけなかった。イスラムは他宗教をつぶすことに熱心だった。今でもそんな臭いがするけれど、1203年、当時インドで最大の仏教寺院を徹底的に破壊した。3000人の僧侶、学生(がくしょう)を殺戮し、建物、書物などを焼き尽くしてしまった。そのやり方は塵も残さなかったようで、現在でもこの寺院の場所が特定できないほどの有様なのだそうな。
いつものことながら話が別のところにいってしまう。つまり、なにが言いたかったかというと、日本列島はそういった暴風に見舞われなかったことが幸いし、順調な煮込みが出来つつあるということである。
今週末にお会いする作家の奥山景布子さんがこんなことを言っておられる。
「千年以上も前に書かれた多くの文章たち。 本名も素性も十分には伝わらない女性たちの手になる作品が、こんなに大切に現代まで残されている文化を持つ国は、世界中を見渡しても、希有な存在だと思います」
まさにクールジャパンではないか。
調子にのって司馬遼太郎さんも。
「私は、日本がたとえばブータンやポーランドやアイルランドなどとくらべて特殊な国であるとはおもわないが、ただキリスト教やイスラム教、あるいは儒教の国々よりは、多少、言葉を多くして説明の要る国だと思っている」
読書会後、クールジャパンである居酒屋で宴会。クールジャパンであるサザエのお造りを食べ、クールジャパンである熱燗で乾杯、たまりませんな(笑)。