本日、地元で読書会。課題図書は、福田恒存『保守とは何か』(文春学藝ライブラリー)と、倉山満『保守の心得』(扶桑社新書)の2冊である。
これは我ながらいいチョイスをしたと思っている。「保守」を考える上で、歯ごたえはあるがなかなか深い議論が尽くされている本だ。
福田さんや倉山さんに比べ、今朝の天声人語も相変わらず軽佻浮薄である。内容は「憲法9条がノーベル平和賞をとれなかった」ことを嘆いているだけ。そしてこうまとめている。《それでも、戦後日本に平和をもたらした9条の役割の大きさを否定できるものではない。きのうの受賞はならなかったが、粘り強く続ける値打ちのある挑戦ではないか。》アホか。
そもそも憲法9条が平和を守ったのではないことは、常識的な日本人であれば理解している。「日本国憲法」というマッカーサーのメモから始まる占領軍による日本を骨抜きにしようとする法律改正(これ自体が国際法で禁じられているにも関わらず)が実施された。そして多くの条文を書いたのがアメリカ人の若いネーチャンなんですね。彼女は日本の歴史、文化、伝統などまったく知らないし、知る努力もしない。にも関わらず、いろいろなものからコピペをして1週間で「日本国憲法」をつくりあげた。おそらくこれが卒論だったら不可だったろう。
倉山さんの言を引く。
《世界の憲法学における常識ですが、憲法とは「歴史・文化・伝統を踏まえた、国家統治の最高法」です。マッカーサーは日本の歴史・文化・伝統を破壊する目的で日本国憲法を押しつけました。》
そういうことなのである。
福田さんは、「当用憲法論」の中でこう言っている。
《現行憲法に権威が無い原因の一つは、その悪文にあります。悪文といふよりは、死文と言ふべく、そこには起草者の、いや翻訳者の心も表情も感じられない。》
起草者のネーチャンは日本そのものを理解していないし、おそらく翻訳者は「こんなくだらないもの」を国の規範とすることに強い違和感を持っていた。当然のことながら心も入らないし、表情が出るわけがない。
翻訳者に心をこめてもらわなくてよかった。
まっとうな人の意見だけではいけないので、「憲法9条教」の教団の主張も載せておきますか。
http://www5.sdp.or.jp/comment/2014/10/10/3086/