先日、京都に行った時のこと。七条通西乃門界隈で「昼飯を食べよう」ということになった。通の北側のとおりを友だちと物色する。そこでこましな料亭があって、おもてには鰻のランチが案内されている。金額は7000円近かった。ランチでっせ!いくらワシャが気前のいい男と言われても(笑)、ランチの7000円には躊躇する。しかし捨てがたいオーラが店の間口から漂っている。とりあえず候補には入れておいて、他の店も当たってみることにする。けっきょく、さほど歩かないうちに例のおばんざい屋があって、ランチが1〜2千円で揃っていた。そりゃこっちでしょ。ということでオーラのある店には入らなかった。
谷崎潤一郎『陰翳礼讃』の一節。
《京都に「わらんじや」という有名な料理屋があって、こゝの家では近ごろまで客間に電燈をともさず……》
オーラの漂っていた店はこの「わらじや」だったんですね(泣)。知っていたのに……目的が違っていたので、記憶の中から排除されていた。それに突然目の前に現われて、記憶をたどる暇もなかった。
このことは後で友だちから聞いたのだが、ワシャとしたことが、甘かったわい。といいながらもさすがにランチで7000円は、「わらじや」と認識していても入ったかどうか。そこで熱燗で一杯というならいいけれど、午後からも予定が入っている。ランチで寛いでしまうと午後のスケジュールがおじゃんになる可能性が高い。
ただ、解っていればもっとジロジロと眺めていただろう。次は端から「わらじや」の夕席をめざして行くことにしようっと。
でも、池波正太郎の愛した京都上京の「萬亀楼」にも上がりたいし、南禅寺山門脇の「奥丹」の木の芽田楽で熱燗をいただきたいドスエ。
行きたいところばかりなのであ〜る。