どうもすいません

 何日か前にも同じようなことを書いているけど、また地元のボランティアに駆り出されて、朝から肉体労働である。ある意味で徴用工と言っていいかも(笑)。
 なんだか現役の頃より忙しいんですけど。

 ということで、また昼過ぎにでものぞいてくだされ〜。

(仕事中……)

 只今、午後1時半。
 午前中、徴用工が作業中にちょいとしたニュースが飛び込んできた。それについては、またあらためてしっかりと書きたい。
 昼に家に戻って、パソコンの前に座ったら、急に豊臣秀吉のことを思い出した。
 ということで以下を書く。

「後継者なき為政者の愚」

 豊臣秀吉である。1582年に本能寺の変があって織田信長が没する。そこから頭角を現して天下人への道を歩むことになる。死ぬのは1598年、ざっと16年の政権の掌握ということにある。
 天下の為政としては長いのか短いのか、ともかくも16年の治政でいいこともやったし、悪いこともあった。別の機会にもう少し規模を小さくして話をしたいが、とにかく秀吉の愚は、明確な後継者をつくっておかなかったことに尽きる。政権の維持、己の意向の継承は後を継ぐ者をきちんと育てておくことが重要だ。それを16年もの時間がありながら、育てておかなかった秀吉はそのことをもってしても、長く権力を維持できる政治家ではなかった。16年も政権を握っていて「道なかば」「やり残したことがある」なんてほざくのは愚の骨頂、バカじゃないの!
 早々に甥の秀次を関白にしたのである。そこに禅譲して、自分は太閤として秀次政権を支えていく。そしてそれを育てておけば、徳川家康に付け入る隙を与えなかった。いくら後継者がバカとはいえ、それを支えるブレーンに優秀な人材をあてがっていけばいいのである。そのことを怠り、自分の保身(実子への継承)を謀ったばかりに、見事に家康に足元を掬われて、己の血統自体を日本の歴史から抹消してしまった。16年も長期に為政を担う者が後継者育成を怠るのは己の都合しか考えていない典型と言っていい。
 権力を握るものは、せいぜい15〜16年もやればいい。それで仕事が出来なければ、それは権力者の無能のなせる業であり、いくら時間をかけたって成就するものではない。16年で仕事を完遂できなかった権力者より、頼りなくとも次の人間に託したほうがまともだ。
 清き水も澱めば腐る。そんなことは古今東西、決まりきった原則のようなことなのである。そのことに気が付かない豊臣秀吉はトロトミヒデーヨシだった。