六曜

 明治生まれの祖母がよく言っていたのを想い出した。
「今日は三隣亡(さんりんぼう)だから気をつけるんだよ」
 とくに高いところには登るなと注意された。そのことの意味が理解できたのは、かなり後になってからのことで、そのころに祖母は他界していた。

《大安・仏滅…記載は不適切、県がカレンダー回収》
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151226-00050002-yom-soci
 大分県は、なんだかよくわからない協議会で発行した来年のカレンダーに記載した「大安」「仏滅」などの「六曜(ろくよう)」に、「なんの科学的な根拠もないので、公的な刊行物に掲載するのは不適切」として、カレンダーの回収を進めるんだとさ。
 不適切なのは、大分県である。一旦印刷して配布したカレンダーを回収して廃棄する、これにどれほどの労力と費用がかかると思っているのか!「六曜」はなんの根拠もない?そんなことはない。日の吉凶説のひとつで、もともとは支那中国起源の時刻占いに由来する。日本には室町時代に伝えられ伝承されてきた。占い文化としては歴史があるのだ。
 大分県は「公的な刊行物に掲載するのは不適切」と言う。それなら、毎朝、公に流れているテレビの「今日の運勢」とか「今日の占い」っていうのはどうなんだ?
「牡牛座の人の今日のラッキーアイテムは鰻です。鰻にまつわる小物を身につけましょう。鰻丼を食べるのもいいかも」って言われるのは適切で、「今日は大安です」と言われるのが不適切って、大分県の人権教育に関わる部署はなぜ言い切れる!
 冒頭の祖母の話にもどる。「三隣亡」である。これは「六曜」よりもずいぶん遅れて、明治に入ってから登場する。もともとは「三輪宝」として、家や蔵を立てはじめるのに「佳き日」ということだったが、いつしか「三隣亡」という字になって、意味もまったく逆になってしまった。
 でも、どうなのだろう。今の若者で「三隣亡」という言葉を知っている人がどれほどいるのか。時とともにこういった占い文化が消えていくのは仕方がないと思う。しかし、「ロぺ占い」
http://www.fujitv.co.jp/meza/index.html
がこれから、百年二百年続く文化になっていくとも思われない。
 いいじゃないの。
「おっ、その日は大安だな。じゃあそこで結納をしよう」
「あららら、今日は仏滅か。いろいろ慎重にやらないといけない」
「先負なら、その交渉は午後からにしよう」
 そう考える足しになるだけで、なにか大きな問題が引き起こされるとも思われない。むしろせっかく作ったカレンダーを無駄にするほうが「凶」だと思いますが。