拝金主義の悲劇(死者の金を食う虫) その2

(上から続く)
 妻の実家に転がり込んで、何十年も過ごしている状況をみれば、マスオさんが、自立心が旺盛で気概のある男だとは思えない。どちらかといえば依存心の強いこずるい男ではないだろうか。義理とはいえ父親が自室にこもって死んでいるかもしれないという状況である。ここで何の手も打たないというのは普通の市民としては考えられない。極めて怠惰な男で、金に汚い印象を受ける。
 こんな性格の男を一家に引き込んだことが、良家崩壊の原因ではなかろうか。あるいは年齢を重ねた宗現さん夫婦に対して暴力をふるっていたかもしれぬ。そんな、殺伐とした生活に嫌気がさして、宗現さんは自室に引きこもったのではないだろうか。あくまで想像であるが……。
 
 こちらは福島県の話だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100829-00000008-mai-soci
 行政から金をだまし取るために、親の遺体をほったらかしにして腐るがままにしておく連中が全国にいる。金のためならそこまでするか。拝金主義の地獄といっていい。
 ううむ、腐臭の漂う話ばかりなので、少々めげてきた。ちょこっとすがすがしい話で口直しといこう。

 かつてワシャの大祖母が岐阜の田舎に住んでいた。94歳でぽっくり死ぬまでは、毎日、畑に出て農作業をしていた。大祖母の家は、矢作川の源流の大田舎だったので、その周辺で買い物のできる店などなかった。何キロも離れた集落に万屋のようなのがあったが、大祖母がそんなところへ出かけて行ったのをついぞ見たことがない。
 というか、日々の食事は、秋に収穫した米とその日に採れた野菜に山菜、たまに祖父が釣ってくる川魚で済ませてしまうので、金なんかかかりまへん。水道だって裏山から流れ出る沢の水を濾過して使っていたし(これがめちゃめちゃ冷たくて美味しいんですよ)、燃料も裏山の間伐で得ていたので、一円も使わない。
 年金くらいはもらっていたのだろうが、何しろ使うところがないので、せいぜい、たまに都会(西三河は岐阜の山奥と比べれば大都会でしたぞ)からやってくるかわいい坊ちゃん(ワシャじゃ)に小遣いをやる程度のことだったろう。
 大祖母はつねに清貧だった。普段、着るものでも何度も何度も縫い直して着ていたし、普段履きは自分で編んだ藁草履だった。でもね、卑しいところなどこれっぽっちもなかった。大祖母の周囲には常に爽やかな風が吹いていたような気がする。
 昭和30年代には、まだまだ金よりも価値のあるものがたくさんあった。