枕元

 いい結末だ。「いい」と言うと語弊がある。興味深い結末と言い換えたほうがいいだろう。このニュースである。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151223-00000048-mbsnewsv-l25
「被害者が枕元に立っている気がする」82歳の女性を殺害した52歳の男の枕元に被害者が立ったそうな。そのものに苛まれてついに自首を決意したという。
 これ、本当に被害者の方の姿をしたなにものかが立っていたと思いますよ。加害者の目には間違いなく被害者の立ち姿が見えていた。ありありとリアルに。被害者の恨めしそうな表情まで手に取るようだったに違いない。
 ワシャも、臆病な質を持っているので解るのだが、繊細というと響きがいいが、そういったヤツってのは、敏感に周囲の変化を察知する。普通の人ならススキの穂のわずかな揺れなど気にも留めないが、臆病者はそれが気に触る。微々たる気圧の変化や、ほんの少しだけの風の乱れが感じられるのである。
 たとえば最近だとこんなことがあった。風呂に入ろうと思って脱衣場で服を脱いでいた。そうするとね、斜め上から視線を感じるのである。ふっと見上げると湯気でくもったガラスの上部に小さな妖(あやかし)の顔があったのだ。「湯気の水滴が偶然に人の顔のように見えただけ」そう言うのはたやすい。しかし、偶然に形成されるにしては、その造型はなかなか巧かったですぞ。偶然に形成されたのかもしれないが、実害のない弱い妖が覗いていた、そう考えても楽しいではないか。
「人を殺すと祟られるよ」
 このフレーズが事実だとして、これに恐れおののくのは殺人を犯す外道だけだ。殺人などとは無縁の普通の人たちにとっては、これが現実だとしてもまったく問題ない。警察力には限界がある。未解決の事件も数多い。捕まっていない殺人者がこの社会の中でのうのうと暮らしていると思えば業腹である。
今回、枕元に立ったのは、被害者の方ではないかもしれない。そのあたりにうろうろしていた妖のひとつがいたずらにそんな形を見せたのかもしれない。あるいは被害者が大切にしていた何ものかが、復讐のためにそんな姿を見せたのかもね。
 人智の及ばぬことはある。千年の時空を超えて存在する仏の前に立つ時、凛とした心持ちになることがありませんか。そこには物理的になにかがあるわけではなく、静寂の中に、歴史が横たわっていて、その前に自分という存在があるだけのことである。でも、体内に蟠っている煩悩や執着のようなものが、今風に言えばストレスのようなものが妖怪していく、いやいや、溶解していく、ほろほろと解けていく、そんなことを自覚することってありませんか。