土地と日本人

 野坂昭如氏がお亡くなりになられた。ご冥福を祈る。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151210-00000112-mai-soci
 とはいいながら、野坂氏の著作は1冊も読んだことがない。つまり持ってもいないのだ。映画になった『火垂るの墓』は、ジブリ高畑勲氏が監督だということなので、観ましたが、暗い作品で「ふ〜ん」という作品でしかない。映画にしろ小説にしろ、最後にスカッと爽やかにならないといけないと思っているから。
 唯一、野坂氏の言葉を目にしたことがあるのは、司馬遼太郎さんの対談集『土地と日本人』(中公文庫)だった。ここでは野坂節がさく裂して、それはそれでおもしろい。司馬さんとの「土地公有化論」はなかなか得るところがある。
司馬「ぼくの近所の百姓というのは、坪四十万ぐらいのところで大根を作っている。いつか土地が高い値で売れると思いつつ、退屈しのぎに大根を作っている。荒廃もいいところです。資本主義と合理主義というのは不離のものだけど、そこには合理主義のカケラもない」
野坂「坂口安吾は大地主の家柄だったから、そっち側から出てきた発想かもわからないけれども、農地解放のとき、各小作人に土地を分けてしまうだけではどうしようもない。なんらかの方法で国が管理するほうがいいということを、言っています」
司馬「大阪へんでは、中国山脈、四国山脈あたりの過疎村の人たちが日雇いで来ますね。自分の田畑はもう雑草が生い茂っているんだけれど、それを放さないんですね。(中略)それならいっそのこと土地が公有であれば、その人が委員長にでもなって、農業経営体をその村で作って、百姓の好きな青年が住み着いて農業をやればいい」
 などなど。
 
 40年前の対談だが、現在の農業問題や土地問題をリアルに言い当てている。野坂氏の視点も、ただの無頼なオヤジだけではなく、きっちりと日本の未来(現在)を見据えていた。
 明日は「菜の花忌」である。司馬遼太郎が逝って、もう20年が経つ。この20年で、日本は良くなっただろうか。日本人は賢明になっただろうか。反省の意味も込めて、『土地と日本人』を再読するとしよう。