虹とスニーカーの頃

 夕べのBSで「懐かしのフォークソング」が流れていた。いろいろあり、どれも懐かしかったが、チューリップの「虹とスニーカーの頃」は格別だったなぁ。1979年の曲だから、まさに「何もかもが若かった」。親の脛をかじり、学校をさぼって水の仕事をやって、けっこう羽振りがよかった。禅者のような現在は車のようなものは持っていないが、学生時代は「通学のために必要」とか、適当なことを言って、親から金を引き出して、そこそこいい車に乗っていたものだ。当時はヨーローピアンファッションとやらが流行しており、高いジャケットをひるがえして、ナンパに勤しんだものである(苦笑)。
 その時にカセットから流れていたのがこの曲だった。夏は海岸通りを疾走したものである。知多の浜辺の喫茶店で――当時はカフェなどと言わなかった――夕日を見ながら、コーヒーを飲んでいると「♪〜わがままは〜男の罪〜アハ〜それを許さないのは女の罪〜ムム〜♪」と流れてくる。なんだかどこへ行ってもこの曲が流れていたっけ。
 静止画なんだけど、その頃の若造の思い出が脳裏によみがえってくる。
 若かった恋人たちは、青いけれど純粋な恋をしていたんでしょうね。そこには打算とか計算なんてものは全く働いていない。雨の中をはだして、びしょびしょになって歩いたって、コテージから、青空の戻ってきた空を眺めたって、それはみんなことごとく楽しい日々だった。
 でも、少しずつ大人への階段を昇りはじめた恋人たちは、現実の世間を意識するようになる。ただ広いばかりに映っていた世界は、意外に狭く、その中でそれぞれの立ち位置を決めていく。その選択のひとつには「別離」というものがあったに違いない。
 もつれた糸をひきずったまま、一緒になるというケースもある。しかし、このドラマに出てくるカップルは、もつれた糸を引きちぎって他人になった。どちらがどうということではない。どちらを選んだにしろ、人の生は一本の道でしかない。そこを胸をはって高々と生きてゆけるかどうかである。
 少なくとも、夕べ、「虹とスニーカーの頃」を聴いて、脳裏にはいい風景しか甦ってこなかったので、とりあえずあの頃はいい青春だったと言えるだろう。