キーンさん逝く

 昭和58320日、第1山片蟠桃(やまがたばんとう)賞の授与式に司馬遼太郎の姿があった。それは受賞者のドナルド・キーンに祝辞を述べるためであって、その時の「お祝いのことば」が『司馬遼太郎が考えたこと』(新潮社)の第11巻に載っている。

 文字にして4500字、時間にすれば17分ほどの挨拶になろうか。これを政治家がやったら、まぁ間延びして退屈なだけの挨拶なんだろうけど、そこはそれ「座談の名手」の司馬さんである。おそらく出席者は聴きほれていたに違いない。

 内容は「キーンさんの学問と芸術」についてである。もちろん山片蟠桃賞をとったキーンさんを褒めているのだが、それよりも、キーンさんがいかにして日本文学に興味を持たれたのかに言葉を費やしている。友人の中国人から漢字を教わり、漢字というもののかたちに、芸術的な感動を受けたと説明している。そして司馬さんはこう続ける。

《そのままいけばおそらく中国文学の専攻者におなりになったのかもしれないのですが、幸い、歴史がこの若者を日本文学にひきよせてくれました。》

 太平洋戦争で、キスカ島の敵前上陸をたったふたりで実行したアメリカ海軍士官であり、料亭の掛け軸の字などは、司馬さんよりもスラスラと読み、長く辺境の文学だった日本文学を、世界の広場に誘ってくれたのは、ドナルド・キーンさんだと言ってはばからない。

 司馬さんとキーンさんは2冊の対談本を出版されておられる。昭和47年の『日本人と日本文化』(中央公論社)と、平成4年の『世界のなかの日本』(中央公論社)である。どちらの本も「日本人」「日本文化」を語りつくした名著だ。機会があればぜひご一読を。

 司馬さんはキーンさんとの関係性をこう言っていた。

「太平洋という水溜りをへだて、あの戦争を共同体験したという意味においては互いに戦友であったという以外にない」

 戦友は今頃天上で再会を喜んでいることだろう。ドナルド・キーン氏のご冥福を祈る。

 

 さて、司馬さんつながりで、もう一席。

 昨日、刈谷市の総合文化センターで、司馬遼太郎の再来と言われている磯田道史さんの講演会があった。磯田道史ですよ。そうそう聴ける話ではない。さすが刈谷市、呼ぶ講師が違う。

 話は抜群におもしろかった。まくら(導入部)は坂本龍馬をもってきた。龍馬に関する古書を京都の古本屋で200円で買ったというところから話を起こしていく。そもそも磯田さんの講演を聞こうなどという連中は歴史好きに決まっている。のっけに龍馬というおいしいネタが並べられれば、こいつは話に引き込まれますわなぁ。その古書が日本に3冊現存し、一つは同志社大学、一つは200円で購入した磯田氏、一つは刈谷の村上文庫に所蔵されているのだそうな。

 その後にもってきたのは刈谷に関わりの深い華陽院とお大という二人の美女であった。この二人と、家康の祖父である清康のことを語っていたら、本題の「水野勝成」について触れる時間がなくなってしまった。90分があっという間だった。磯野さんは「また来週」とか言っていたけれど、来週はないんだよね。

 おそらく1500人の受講者は、追加講演を望んでいることだろう。

 

 21世紀の司馬遼太郎は頑張っている。