日本人への遺言

 司馬遼太郎の対談集『日本人への遺言』(朝日新聞社)がおもしろい。
《人間は大人になっても、一人ずつ子どもを持っていて、恋をするときや作曲、絵画は――小説もしばしばそうですが、ときに学問も――その子どもがうけもっています。おくやみにいくときは自分の中の大人がふるまうのですが、創造的なしごとは子どもの役割ですね。》
 昨日の日記に、金曜日の仕事が大変だったことを書いた。社外役員との質疑応答などという仕事は、これは大人の仕事なのだろう。だから、金曜日はずっと大人モードだった。アルコールを補給して、スイッチを子供に切り替えようとしたのだが、なかなかうまく切り替わらなかった。だから、金曜日の夜は紳士だったでしょ(笑)。
 おっと、話が脱線した。もう少し司馬さんの文章を引きたい。
《ただトシをとると、自分の中の子どもが干からびてきて、いい景色をみても小躍りするような気分が乏しくなります。》
 1996年1月の『週刊朝日』で、司馬さんは宮崎駿さんと対談し、こう話された。司馬遼太郎72歳、宮崎駿55歳だった。
 司馬さんは、この翌月に突然の死を迎える。まさに最期の対談と言っていいだろう。

 9月4日、宮崎駿さんが引退会見を行った。「公式引退の辞」はここにある。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130906/ent13090616310018-n1.htm

 宮崎駿監督、御年72歳。司馬さんが急死したのがやはり72歳だった。これは偶然の一致だろうか。ワシャは偶然ではないと思っている。死の直前の司馬さんとの対談が、宮崎さんの心のどこかにずっと残っていたのではないだろうか。
 順調に展開していた対談の最後で、司馬さんは宮崎さんの言を否定し、対談がかみ合わなくなっている。司馬さんが宮崎さんにいら立っているといってもいい。話は、司馬さんが大阪湾で飛行艇に乗ったというエピソードから、宮崎さんの「紅の豚」に移っていく。そこで司馬さんは「紅の豚」を褒める。そこから『日本人への遺言』を長くなるけれど引きたい。

宮崎 いや、「紅の豚」は作っちゃいけない作品だったんです。
司馬 どうして?
宮崎 ぼくはスタッフに子どものために作れ、子どものために作れといってきたんです。自分のために作るな、自分のためなら、本を読めといってきたんですが、恥ずかしいことに自分のために作ってしまいました。
司馬 子どものためにということはないでしょう。宮崎アニメというのは、大人も子どももない普遍的な世界だと思いますよ。ぼくはいい加減大人ですから、いくら物食いのいいぼくでも、子どもっぽいものは見られません。やっぱり子どもは子どもなんです。しかし、子ども、大人を通した普遍性というものは確かにあります。

 ここで、司馬さんと宮崎さんの考え方の相違が顕在化してくる。司馬さんは「子供、大人に通じる普遍性はあってそれを両者とも同時に映画から受け取ることができる」と断言するのに対して、宮崎さんは「大人は映画を見て幸せになるのではなく、映画を見た子供が幸せになるのを見て幸せになる」と主張する。
 これを司馬さんは真っ向から否定した。

司馬 いえいえ、大人本人もいきなり幸せになっているんですよ。(中略)映画館で大人が喜んでいるのは、本人も普遍的な子どもとして喜んでいるんです。

 司馬さんの対談本は何冊も出ているが、対談の最後で、司馬さんが、持論を押しつけるような発言をすることはあまりない。宮崎さんが17歳も若かったから……ということではなく、すでに司馬さんに死が近づきつつあって、その焦慮のようなものが、顔を覗かせたのではないか。
 司馬さん、そのいら立ちをこう締めくくっている。
《たとえ顔は干からびても、子どもの心を持っているというのでなければ、その人は信頼できませんね。その人のイマジネーションも信頼できませんが、倫理観も信頼できないということではないでしょうか。》

 今回の宮崎さんの引退会見を聴いていて、宮崎さんの中の子供が干からびたとは思えない。しかし、ご本人も言われているように「集中力が減った。加齢によって発生する問題はどうしようもない」ということなのだろう。
 そして彼岸の司馬さんにはこう言っているのではないか。
「あなたの年齢までがんばりましたよ。もう私の思いどおりにやらせてください」
 そんな天才同士の会話があったのではないだろうか。